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スーダンの混沌、「欧米的民主化」の限界(後)

さて、前編の続き、と言っても今回は
僕の私見を書いていく回である。

ぜひ色んな人にシェアして欲しい。

賛成意見も、反対意見もどんどんコメントして欲しい。

議論(から産まれるもの)こそが
世界の問題を解決していくはずだ。



タイトルにある「欧米的民主化」とは何か。

勝手に僕が作った造語なのだが、
無論適当に作った訳では無い。

途上国で行われる民主化の動きを端的に表している
表現だと我ながら自信を持っている(笑)

さて、そもそも民主化、民主主義の浸透、拡大は
欧米(西欧)を根源としてきた歴史がある。

日本は欧米以外の地域では、
かなり早く民主主義に出会ったが、
それも、アメリカの捕鯨船の給油基地として、この上ない場所に位置していたというおおよそ奇跡的な理由でしか無く(もちろん当時の日本人に、屈服せず、それでもなお大いに学ぼうという姿勢があったことも重要だったが)、そうでもなければ歴史は大いに異なっていたはずだ。

そんな経緯もあって、民主主義及び民主化というのは、
非常に「欧米的」な価値観を土台として成り立っている。

20世紀の間は、それでも良かったかもしれない。

世界の覇権は、欧米が握っていたし、2度の大戦はことごとく民主主義を(対外的には帝国主義であったかもしれないし、民主主義もまだまだ未熟ではあったが)掲げる国々が、勝利を挙げた。

戦勝国が敗戦国に民主化を強要する。
外交において最強の大義名分であった。

破綻したものでも強要することが出来たし、さらに言えば当時はその破綻がまだ表出していなかった。

だがしかし、今はどうだろう。

欧米(と言うより今は西側諸国と言うべきか)の世界における力は没落の一途を辿っている。

民主主義の限界も見えはじめた。

21世紀に入ってから、日本を筆頭に民主主義国家の経済は軒並み競争力を落としている。

経済成長だけに目を向ければ非民主主義勢力がメキメキ力を付けて、世界の主役に躍り出ている。

限界に至っただけじゃない。破綻し始めている。

インターネットの拡散が産んだのは、
民主主義のグローバル化ではなく、
民主主義破壊のための武器だった。

フェイクニュース、陰謀論、二極化…
これらが、民主主義を蝕んだ結果、生まれたのは超極右的な政治家たち。極右政権がEU加盟国にも生まれる…

都合の悪いことに、インターネットによって、
その醜態ぶりは、非民主主義勢力に晒されてしまった。

「欧米的民主化」の未来が必ずしも明るくないことを
知ってしまった非民主主義勢力が、欧米の言うことなど聞くはずもない。

新しい民主化、新しい民主主義の形を見つける為に、
互いに協力し合うのが本来あるべき形であろう。

そもそもの話、欧米の価値観を押し付けるだけでは、
植民地時代と本質が何も変わらないでは無いか。
為政者が外国人か、そうでないかの違いしかない。

本当の民主化を望む人たちが、そんなやり方で形作られる民主化で満足するのだろうか。
そんなやり方で形作られる民主化が、果たして持続可能なものになるのだろうか。

そんなはずがない。

これが「『欧米的民主化』の限界」というものである。

今回のスーダンの権力闘争も結局は、民主化のプロセスから始まっている。

非民主主義国で暴れる軍事政権。
だが果たして悪いのは彼らだけなのか…

SDGsが声高に叫ばれるなか、封建社会がこれを叶えないのはもはや明らかである一方、民主主義の広め方も、今までの反省を活かすべき時が来ているのではないかと感じる。

先進民主主義国家の現代における役割とは…
再考に値するトピックだろう。





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