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元カレK君とシャウエッセン

ウインナーと言えばシャウエッセンが至高だ。
もちろん、もっと高級で美味しいウインナーというのもこの世に存在するだろうが、「どこのスーパーでも買える2袋セットのウインナー」達の中では、揺ぎ無く最高の地位にあるのがシャウエッセンである。私はそう信じている。
のだが、私のシャウエッセン信仰には教祖がいる。元カレK君だ。

K君は、私と交際を始めてから一人暮らしを始めたのだが、何故かウインナーには物凄いこだわりがあった。
まず絶対にシャウエッセンなのだが、かなり深めの切れ目を等間隔に入れて、フライパンで、油を引かずに、じっくりとじっくりと時間をかけて、満遍なく丁寧に転がしながら焼くのが、至上のシャウエッセンを食べるために不可欠な儀式である。ボイルではダメなのだ、と彼は何度も熱弁していた。
焼きあがったシャウエッセンは確かに、私がそれまで何となく食べていたウインナーとは別格のレベルで美味しかった。なので、私はK君と別れてから20年近く経つ今も、一番美味しいウインナーはシャウエッセンだと信じているし、油を引かずにフライパンで焼いている。

と、それだけ書いて終わりにする訳にはいかないほど、私とK君の関係は、(ウインナー以外は)穏やかなものではなかった。
まず、付き合い始めのしょっぱなから、K君の話す話というのが波乱万丈すぎた。

曰く、元カノがヨリを戻したいと言ってストーキングしてきている。
曰く、元カノが手首を切ったらしいから今から様子を見に行く。
曰く、妹が登校拒否を起こしている。
曰く、K君本人がパニック障害を持っており、今発作を起こした。

例え一個でも私の手には余るようなヘビーな情報が、2,3日おきに入ってくる。そんな状況なら一人暮らしなんか始めようとしないで親元にいた方が良いだろうし、本腰を入れて根本から解決しようと思ったら、一人の人間が人生をかけて戦わねばならないレベルの難問揃いだ。大学に行っている場合でも、サークルをやっている場合でも、ましてや彼女とイチャ付いている場合でもないだろう。

私は至極真面目にそれらの報告を聞き、「それは大変だね、お大事に。しばらく会えなくても気にしないで。頑張ってね」と言って、しばらく彼との関係を放ったらかそうとした。
するとどういう訳か、私が「じゃあ頑張って」とK君の厄介事を忘れることにした途端、彼はそれらの問題をすべて、綺麗さっぱり消し去ってしまったのだ。まるで、最初から何もなかったかのように。
どうなったのか、大丈夫なのかと聞いてみても「もう終わったから大丈夫」としか言わず、数日前の電話で熱弁していた「妹が心配で眠れない」や「別れたとはいえ、人として元カノを放っておけない」の気配は見事なまでに消え失せていて、私は釈然としないまま、追及するのを諦めた。

もしこれらの問題を数日にして解決できるだけの能力があるなら、K君は凄まじいスーパーマンということになるが、嘘だと決めつけるにも、本当だと信じるにも、私には情報が足りなさ過ぎた。いつも飄々とした態度を崩さないK君は、果たして虚言癖のある只の人なのか、私の想像を超えたスーパーマンなのか。

K君の立ち居振る舞いには、それまで付き合ってきた彼氏達のような隙が殆ど見られなかった。少なくともウインナーを私より上手に焼けることは間違いなかったし、自分の体に似合う服を知っていたし、部屋は大抵片付いていて、ギターも上手く、授業も欠かさず出ていて、私よりもずっと要領の良い優等生だった。そう見えた。
そして、彼の不安定な面も、付き合ううちに見えてきた。
怒ると、何故か卵を投げるのだ。彼の家の冷蔵庫にある生卵を。壁に。
金のない貧乏学生だった私は、壁から滴り落ちる卵の黄身を何度も拭き取り、救える卵は救って、殻を取り除いてスクランブルエッグにした。
喧嘩の原因そのものは、私が元カレと連絡を取っていたのを咎められたとか、そういう話だったと思う。私は私で「K君の女友達」に対する不信感が強く、お互い様という意識もあって、私は全く何の反省も改善もしなかった。幸か不幸か、私にとってK君は全く恐怖の対象ではなかった点も大きい。
「K君を怒らせてしまった」よりも「卵が勿体ない」という感想の方が強いまま、似たような口論が何度も起こり、その度に卵が壁に投げつけられた。
私が卵の後片付けとスクランブルエッグ作りに慣れきってしまった頃、K君は私の頬を平手打ちした。私はK君をひっぱたき返し、そして関係を終わりにした。

K君がスーパーマンだったのか、虚言癖のある変な奴だったのか、私には結局分からないままだった。今の年齢になって色々思い返しても、である。
ただ一つ分かることは、彼が教えてくれた焼き方で焼いたシャウエッセンは、彼の嘘の有無にかかわらず間違いなく美味しいということと、卵を無駄にするのは良くない、ということだ。
妻子を持った中年男性になってきているはずの彼は、もう卵を投げずに暮らせているだろうか。そうだといいなぁ、と思う。

卵はきちんと、正しく、無駄なく、食べるべきである。
私はウインナーも好きだが、それ以上に卵も大好きだ。シャウエッセン教祖といえど、卵を軽んじるべからず。そう、彼に伝えたい。








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