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咳をしても金魚。

こちらのお題に参加させて頂いています。


咳をしても金魚。金魚は、咳をするのかな。
するのかも。しないのかも。

こほ、こほ、と咳が出る。私の喉から。
熱があるから、お留守番をする。咳は好きじゃないけれど、お留守番は好きだ。ママがいないから、叱られない。

こほ、こほ。

咳をしながら、廊下に出る。金魚鉢にいる金魚は2匹。先週の夏祭りで、一匹もすくえなかったのに、お店の人がくれた金魚だ。そういえば今日はエサをあげていない。
近づくと、エサをもらえると思ったのか、金魚が水面に近づいて、ぱくぱくと口を開けている。

こほ、こほ。こほ。

金魚のエサの袋を開けて、あげようとしたとき。わたしは、金魚に直接エサをあげてみたいな、と思った。
おじいちゃんちのラッキーは、ドッグフードを手のひらに乗せるとぺろんと舐めとって、ぱくんと飲み込む。金魚なら、どうやって私の手から食べるんだろう。

わたしは金魚鉢に手を入れて、金魚をつかまえようとした。金魚はするりと逃げてしまって、中々つかまえられない。でも、金魚すくいのあれを使うよりは、手でつかまえる方が簡単な気がした。
あ、ちょっと触れた。もう少し。今度はしっかり、逃げないように、でも潰さないように、しっかりつかまえて。
何度もつかまえては逃げられて、を繰り返していると、金魚たちはだんだん泳ぐのが遅くなって、簡単につかまえられるようになった。とうとう一匹をつかまえて水から出すと、金魚はぱくぱくと、私の手のひらで口を開けたり閉じたりしていた。
こほ、こほ、と咳が出る。

今、ごはんをあげるからね。

金魚はエサを食べなかった。人間の手からは食べないのかもしれない。そういえば野生の動物は、安心できないとご飯を食べられないと聞いたことを思い出した。人間が怖いのかもしれない。

ごめんね、じゃあ離れてるから、ゆっくり食べてね。

私は金魚を水に戻して、エサをぱらぱらと金魚鉢に入れた。
少し離れて見ていたけれど、金魚たちは、エサを食べなかった。
水が白く濁っていた。さっきまで透明だったのに。
わたしの手が汚れていたのかもしれない。

こほ、こほ。

私は手を洗いに行って、それから布団に戻って、眠った。
金魚は、私が寝ている間に死んだ。二匹とも、白く濁った水の中で。

ママは怒らなかったけれど、叱られるより、ぶたれるより、金魚を死なせてしまったことが、重く重く、心に残った。


「どーれ、今おっちゃんが一番いいやつ、すくってやっからな!見てろ!」
「ほんとう!?」

ほろ酔いどころか、べろんべろんの一歩手前まで酔っぱらったマサさんが、腕まくりをして金魚すくいのビニールプールの前にしゃがみ、私の息子が嬉しそうに覗き込んでいる。つい先ほど私は「いや、金魚は別に要らないかなぁ」と確かに言ったはずなのだが、私の言葉はマサさんの耳には全く入らなかったらしい。
こうなっては仕方ない。マサさんはきっと何としてでも、息子のために金魚を手に入れてしまうだろう。今夜は金魚を持ち帰るしかない。
家に金魚鉢はもうなかったはずだが、水槽はあっただろうか。ないとして、今夜はバケツでも大丈夫だろうか。カルキ抜きなしの水道水に入れたら弱ってしまうだろうし、かといってどうしたら良いのか、と私が悩んでいる間に、マサさんは得意げな顔で息子の手を引いて戻ってきた。

「ほらよ、いーいのが取れたわ!あっはっは!」
「わ、わぁ、ありがとうおじちゃん……」

辛うじて作った笑顔で金魚の入った袋を受け取りながら、私は内心盛大にひきつった。金魚は二匹。よくもまぁ夜店にいたものだと思うような、ひらひらと大きく綺麗なひれのついた、ザ・金魚!という色と形をした一匹と、シンプルなシルエットながらも錦鯉のような風格と色を持つ一匹だ。これは確かに、「一番いいやつ」に違いないだろう。

「おじちゃんねぇ、本当は取れなかったんだけど、お店の人が取ってくれたんだよー」
「どっちでも良いんだよンなこたぁ!ほれ、落とさねぇように持って帰れよ!んじゃな!」

息子の告げ口をぐりぐりと頭を撫でることで封印したマサさんは、若干ふらついた足取りで、人ごみの中に消えていった。まぁ、この地域色しかないお祭りの夜店は、ほぼ全員が近所の人たちで構成されているから、マサさんの我儘の5個や10個は通ってしまっても不思議はない。たとえそこらで酔いつぶれたとしても、誰かが自宅に送ってくれる。ここはそういう場所だ。

「えーっと……じゃあ、おうちに帰って焼きそば食べようか」
「うん!金魚はぼくが持つ!」
「じゃあここを持って、しっかりね?」

金魚を手にニコニコしている息子を連れて、地元の夏祭り会場を後にしながら、私はそっとため息をついた。

金魚は、二度と飼わないと決めていたのに。

家に着いたら、まずは急いで金魚の飼い方を調べねばならない。とりあえず、明日まで金魚たちが生き延びてくれることを祈って、明日の朝無事だったらホームセンターに行って、必要なものを買って。

息子の手にぶら下がったビニール袋の中で、二匹の金魚は夜目にも鮮やかに泳いでいる。

今度は、きちんと飼えるだろうか。
今の私なら。死なせずに、済むだろうか。

まずは最初に、何があっても金魚を直接触ってはいけない、ということを息子に教えよう。
ひとまずそれを心に決めて、私は家路についた。金魚の袋を持つ息子が、絶対に転ばないように手を引いて。そして出来るだけ、急いで。




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