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逃れることはできないこと

タロットは、間違いなくユダヤ・キリスト教という文化の土の中から生まれたものです。それを否定することはできないですね。色々なアレンジを施したカードが生まれようと、そのことと、元々のカードの持つ文化的背景を無視することは無関係で、どれほど斬新な解釈をしようと、そこから逃れることは不可能なのです。

確かに、タロットカードは、その元々の宗教性をうまく回避させているように思われます。しかし、そこから完全に逃れることは極めて難しい(と同時に、解釈されたカードたちが、解釈者の文化的・宗教的背景から自由になるということも極めて難しいものです)。どのような解釈をしようとも、解釈である限り、下の土地から逃れることはできません。

どれほど絵柄を変えようとも、例えば22枚のカードの数を無視するのであれば、もう、それはなんのカードかもわからなくなってしまいましし、22という数はヘブライ語の文字の数でもあります。

逃れることができないのであれば、そして、その文化的背景に真摯であろうとするのであれば私たちのやるべきことは一つです。学ぶこと、これ以外の答えはないように思われます。私たちは、学ぶことから逃れることは決してできないのです。それを終わらせる必要はないのですが、そこから逃れることもできないのです。



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