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アンナ - 泥 #1

前話 (#0):https://note.com/watar_kato/n/n9375d5f25a78

 いつものように、教室の窓から空を眺めていた。
 灰色の雲が厚く太陽を遮っているというのに、じめじめと蒸し暑い空気はなんなのだろう。頭上に張り付く薄っぺらいエアコンは黙ったまま。

「せんせー、暑いです」とエアコンを指差す生徒に「お前たちは若いんだから」と、担任は汗を垂らしながら言い返していた。若いこととエアコンをつけないことにどんな関係があるんだろうか。若くない先生がいる今のこの教室なら、つけてもいいってことにはならないのかな。
 ぼんやりと浮かぶ思いを遊ばせていた。チャイムの音が鳴った。

 起立、気をつけ、礼。とっくに教科書を片付け終えていた生徒たちが、弾けるように教室を飛び出していく。あるいは隣の席の友達と談笑しながら、じわじわ他のメンバーを取り込んで、ひとつの塊になって出ていく。すごく、エネルギーって感じがする。
 私はほんの少し顎を引くだけの礼をした後、席に座ってスマホをいじるフリをしながらそのわいわいとした教室の様子を眺めていた。

 四十人もいたのに、ほんの十分もしないうちにほとんどがいなくなった。教室に残っているのはスマホを見せ合いながら笑い合う三人組が一つと、ひとりで座っている人間がふたり。つまり、私ともうひとり。

 三人組は、放課後になるといつもこの広い教室の端っこで、ひっそりとヒミツを共有するような笑い方をしていた。誰に気を遣う必要もないのに、彼女らはいつでも隅の方に潜んでいた。席替えがあっても不思議と三人のうち誰かが壁際や窓際に席を手に入れ、そこが新しい彼女らの拠点となった。
 たまに教室を出ていく生徒が彼女らの集まる机にぶつかったり、あるいは急に現れた先生が三人のうち誰かを呼んだりすると、彼女らはひどく不安げな顔をして顔を見合わせるのだった。

 残るもうひとりは、教室の真ん中の席で静かに本を読んでいた。色が白くて線が細く、どことなく子犬のような愛嬌がある彼はノゾミといった。よく本を読んでいるからひとりでいることが多いけど、いじめられているわけでもなく、ただそうやって過ごしているだけという柔らかい雰囲気があった。

 ひとりを選んでいる彼を見ていると、私もなんとかやっていけるんじゃないかという気分になった。同時に彼に一方的な親近感を覚えていた。放課後ひとり同盟。私たちは、きっとそれぞれにひとりでも立っていられる。彼が持っているのだろう強さを、きっと私も持っている。そんな気がした。一度も話したことはないんだけど。

 彼がページをめくる、かさりという音が教室に響く。紙が擦れるほんの微かな音が響いてしまうほどに、放課後の教室はなんだか空っぽだ。私はそんな空っぽな教室で何をするでもなく、どんよりとした空を眺めていた。

 画面をつけたり消したり、意味もなく手の中でスマホをいじくる。電源ボタンを押すカチカチという音の間に、ひそかな笑い声と紙の擦れる音がはさまる。空っぽな教室に響く不思議なリズム。もうさっさと雨が降ったらいいのにな。そしたらもう少し、心が躍る何かが生まれるかもしれない。

 きっと私は、この時間が嫌いじゃない。でも好きじゃない。
 馬鹿みたいに暑い夏の道端にある木陰みたいな場所が今で、私は毎日、この木陰に入ることで少しばかり息をしていた。


つづき


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