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難攻不落の砦

難攻不落の砦で何か連想できないか考えましたが、
『バスティーユ牢獄』と『真田丸』が出てきました。
自分でも思いますが、わけがわからないよ。

さて、本日はマルクス・アウレリウス先生にお越しいただいております。
「日々の生活に不満です。どうすればよい人生を送れるでしょうか?」

『よく覚えておけ。
お前の要たる理性が、自己のうちに立てこもって自己自身に満足し、
望まないことは何もしないでいるなら
ーたとえその立場が理性的なものではなくてもー無敵の存在となることを。
まして、その判断が思慮深く理性的なものであれば、
さらに無敵の存在となろう。
それゆえ、情動から解放された精神はまさに難攻不落の砦である。
人がいつでも逃げ込める、この上なく安心な避難所だ。』
~引用:マルクス・アウレリウス『自省録』~

「先生、難しいです・・・・・・。
なんとなく、引き算の美学というか、ディオゲネス先生っぽい印象を受けます。
まず、現状の自分に満足できるならば精神の安定は得られる。
現状が理性的で美徳によって得られた状態ならばさらに無敵である。」

「情動とおっしゃられますが、
所有欲や他者をうらやむ心ではなく、
自分自身に価値を見出すイメージでしょうか?
誰でも自分の精神は持っている。
今の自分に満足することが一種の避難所ということでしょうか?」

本日のお言葉は自分でもかみ砕けておりません。
イメージ的にアドラー心理学の「承認欲求を捨てる」につながる感じがしますが・・・・・・。

ただ、最近仕事やプライベートでも自分の権内と権外を切り分けることで
精神的に安定している印象はあります。
完成形としての自分としてではなく、
発展途上だがもがいている自分に対しては満足している感じでしょうか。

自分以外に評価の基準を置いたり、
他者の賞罰に心像を拉致されたり、
嫉妬、妬みなどのルサンチマンになってみたり、
「だれだれよりも」を持ち出すといつまでも心が休まりません。

価値観の基準を自分に置くことが精神の安定の第一歩なのではないでしょうか?

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