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「不測の事態」を「既測の事態」にせよ

本日はセネカ先生のお言葉を引用して、
日ごろから不測の事態を想定することで精神を鍛えていきたい。

我々は何事にも不用心であってはならない。
あらかじめ、あらゆることに考えを巡らせておくべきであり、
物事の通常の進行だけでなく、
起こりうる危機についても考えておくべきである
~セネカ『倫理書簡集』~

『何事にも不用心』
仕事でもプライベートでも、人は楽観視をしたがる。
「自分だけはうまくいくはず。」
「うちに限ってそんなことはないはず。」
根拠のない慢心から思考を停止してしまう。
そんな人に限って、
「うちの会社がまさか」
「うちの家庭でこんなことになるなんて」
と発言して大きな傷を負う。

昔から
・禍福は糾える縄の如し
・人生万事塞翁が馬
・明日は我が身
と幸不幸は簡単に転換することは示唆されている。
それでも思考を停止してしまうのはその方が楽だからだ。
常に様々な場合を想定してそれぞれに対処する方法を考える、
思考にカロリーを消費するのではなく、
漠然とした自信で物事に臨み、
うまくいくことによって根拠がない自信に箔が付く。

『物事の通常の進行』
セネカ先生は最悪の事態のみを想定して虚無主義に陥れようとしているわけではない。
むしろ通常の進行も見定めつつ、
悪い方にも目を向ける、準備をすることの大切さを説いている。
望み通りや希望通りに行った場合、
それは喜ばしいことではある。
かといって、うまくいかなかった場合のための準備が全く意味がない、
徒労に終わるかといえばそうではない。
むしろ、成功した場合と失敗した場合の2パターンを間接的にとはいえ経験している。
漠然と突っ込む人の少なくとも2倍の経験をしていることになる。

このように「不測の事態」を「既測の事態」にしている小説のキャラクターを知っている。
奈須きのこ先生著『DDD』に登場する「日守秋星」だ。
ざっくりいうと、常に最悪の事態を想定しているので、
生半可な奇襲では意味をなさない。
むしろ思考の奇襲を常に相手にかけているようなキャラクターである。
思考のブレーキを止めない点は自分も見習いたい。
このキャラクターまでぶっ飛ぶことはできないが、
できる限り起動しているときの思考をフルスロットルにしたい。
フル回転な上にフォーカスした思考をするか、
停止しているかの二択でありたいのが自分の希望である。

では、起こりうる危機を想定したとして、何ができるのだろうか?

フロー図
1.不足の事態を考える
2.発生確率×インパクトで対策の要否を判断する
3.対策をリストアップ
4.対策の中で自分次第のことを考える
5.対策のQCDを明確にする
6.バックアッププランを考える
7.諦観する

①対策を打つ
単純にリスクマネジメントに判断すればよい。
発生確率と発生したときのインパクトを見極めて、
対策を打つべきか打たないべきか判断する。
対策のQCDを明確にして実施すべきかどうかを判断する。

②バックプランを考える
ダメだった場合のバックプランを考える。
「バックプランを考えているかどうか」は仕事でもよく問われる。
本命とは別の道を検討することは重要である。

③精神の準備
セネカ先生の言葉の肝はここ。
全くの無防備な状態で不測の事態に陥ると
パニックになってしまう。
対策やバックプランを考えていなくても、
自分の中で仮説として挙がっていた場合、
パニックになる度合いは格段に少なくなる。

パニックになった状態だと理性に則った行動はできないが、
想定した場合だと、理性に従いその場で立ち止まることはなくなる。

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