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尖っていても売れますか?


クリエーション専攻の質問箱

私が主任を務めている大阪音楽大学ミュージッククリエーション専攻では誰でも匿名で質問できる質問箱を設置しています。こちらがそれ。
在学生や、本専攻に興味がある人などが質問してくれているのだと思います。
基本的にどなたからの質問でも受け付けておりますので、いつでも誰でもどうぞ。

尖っていても売れますか?

そこに在学生からだと思うのですが、次のような質問が届きました。

「最近の曲作りでは、なんだか尖らないと落ち着かなくなってきました。
尖っていても売れますか?
そもそも、音楽で売れたい!っていう考えは危ないですか?
(もちろん音楽に愛着はあります。)」

この質問、質問箱では回答済みですが、掘れば掘るほど面白いので、このnoteで更に丁寧に回答してみようかと思います。

この質問の要点は下の2つ

  1. 尖っていても売れますか?(商業的に成り立つかどうかの疑問)

  2. 売れたいは危ない?("仕事にする=媚びる=音楽への愛がない"のではないかという迷い、誤解)

先ずこの質問に対し、私が答えたい答えを簡潔にまとめると下記のようになります。

"尖っていても売れますし、売れたいと言う気持ちは自然な事です"

なぜ、私の場合の答えを簡潔にまとめるとこうなったのかをもう少し詳しく書いてみます。

尖っていても売れますか?(先鋭的な表現が商業的に成り立つかどうかの疑問)

この質問は答える人によって答えが変わる質問だと思います。
尖る事で売れた人に聞けば「尖った方が良い」と答えるでしょうし、ヒット曲を分析、応用し売れた人に聞けば「尖るより分析を」と言うでしょう。

私の場合は、音楽を仕事にしたいと流行を取り入れ様々な楽曲を分析、制作するも売れない時代があり、ある時から「もう、ええわ!金輪際好きな音しか書かない!それで売れなければ、それで結構!」と、徹底的に”好き”を追及し尖りまくりました。

そうやって書いた曲は異形すぎた為、一般的には売れはしませんでしたが、一部のトップクリエイターの目に止まる事になり、そこから一般的に売れるまではあっという間でした。そして今でも「好きな音しか書かない」は貫き通しています。

なので私の答えを正確にもっと簡潔に記せば「尖った方が売れる」になります。

ただ、最初は一般的には見向きもされなかったんですよね。

尖った表現であると同時に、
自分の「好き」を多くの人に届けられるほどの技術が自分にはなかったからです。

ただ新しいものを探しているプロデューサーや監督といった実際に仕事を動かしている層にはグイグイ刺さりまくりました。後は、仕事をしながら勉強を重ね、自分の「好き」を曲げる事なく、多くの人に届けられるように技術を磨いてきた訳です。それは今もそうです。毎日が勉強です。

売れたいは危ない?("仕事にする=媚びる=愛がない"のではないかという迷い、誤解)

売れたいという気持ちが、音楽に対して愛情がないという事にはならないという理由を書きます。

私が思うに「売れたい」という気持ちは「人に聞いてもらいたい」であり「人に認められたい」でもあります。それは「親に認められたい」や「好きな人に認められたい」と同義です。
誰かに認められたいという気持ちは、社会と繋がりたいという事でもあり、それは人の尊厳にもつながるものだと思います。
誰かに認めて欲しい。とても自然な思いです。

音楽が自分の尊厳から生まれてきたものであるとするならば。
音楽=自分です。
音楽 - 自分 =0です。
そう考えてみれば、自分が書くべき音楽は自然と見えてくるのではないかと思います。

最後に

長くプロとして活動を続けるには、時代の気分に振り回されない、確固たる自分を貫き通す事が大事だと私は思います。代わりがきかない存在になるという事ですかね。
とっても難しい事で、それにはやっぱり頑張るしかないんです。
何を頑張るか、どう頑張るかは自分で決めるしかないんです。

そうそう。前回のnoteでお知らせしたホテルmoxy大阪本町でのライブイベントは9月16日で決定しました。
出演は

  • 夕方と猫

  • Kalura

また書きます。このnoteでお会いしましょう。

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