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夫が主夫になって1年。フランスはフリーモーマンに。厚揚げとバナナはホッケとみそ汁になった。

夫が「主夫になる」と宣言をしたのは2021年2月のこと。

1年経った今でも娘のしりとりブームは続いているし、そのおかげでいまだに私もしりとり脳だ。
1年前は

主夫→しゅ「ふ」→フランス

だった私も、今では

主夫→しゅ「ふ」→フリーモーマン

と、海外の映画俳優の名前が出るくらいには成長したようだ。
(しかし「ン」がついちゃったな、というのと、名前にいまいち確信が持てなかったため検索してみたところ「モーガン・フリーマン」だった。申し訳ない。)

あの時

生活に必要なお金を稼ぎ、払わなきゃいけないものを払い、これからも派手に喧嘩したり仲直りしたりして生きていく、それだけだな、と思うのだ。

と書いた思いは、そのままその通りになった。

正直言うと、もっとお金のことで焦り、ケンカをするんじゃないかと思っていた。
しかし、収入はかなり減ったし焦ったりすることも確かにあるのだけれど、収入が不安定なことによってケンカをしたことは数えるほどしかなかった。

その数えるほどのケンカも、そもそもは共通の思い出の記憶が食い違っているだかいないだかでしたケンカに、ついでにあれもこれもゆったれ、みたいな感じで地引網的に引っ張り出されたようなものだった。

収入への執着を手放したら収入が上がった!なんてことは残念ながらないが(何度も言うが下がった!)、
収入への執着を手放したら、置いてかれるとか、まだまだ足りないとか、もっともっととか、今まで漠然と抱えていた焦燥感や恐怖心はいつの間にかなくなった。

そもそもお金をたくさん使うような生活をしていなかったこともあるかもしれないが、節約をしているという感覚もあまりない。

仕事に関しては、収入のためにきついなぁと思いながらもしていた仕事を手放した結果、当たり前だがストレスの少ない仕事が自然と手元に残っていった。
最近では、純粋にやってみたいと思う仕事がポツポツと入ってくるようになったと思う。

みんな大なり小なり嫌なことを抱えて生きているのに、こんなに我が儘を通していいんだろうか。

そんな風に思うこともあったけれど、
誰かにわざわざ嫌なことをしないように、自分にもわざわざ嫌なことをする必要はなかったのだと今は思う。
(アイツは自分の嫌なことは意地でもやらない、とんでもないヤツだ!なんて言う人ももちろんいなかった)

かといってストレスフリーなハッピーライフ!!かというと、もちろんそんなわけはなく。
金銭的にヤバい月はヤバいことに変わりないので、こりゃキッツいぞ・・・と思ってはジタバタしたりしている。

それでもこの状況を怖いと思わないのは、この不安が漠然とした不安ではなく、現実的な不安だからなのだと思う。

現実的な不安は解決策が明瞭だ。

生活していくために金銭面で不安があるなら、今足りていない分の具体的な金額を計算して稼ぐ。
これだけなのだから、この時ばかりはやりたいやりたくないとか言っている場合ではなく頑張るのみだ。
(ゼェゼェハァハァ…。ほらストレスフリーではない…!現に、「渡部さんて月末に頼んだ仕事は大体引き受けてくれますよね」などと言われている…!)

そう思うと自分は、漠然とした恐れや焦燥感を何とかお金に換算して解消しようと、たたけばたたくほど不安になる電卓を握りしめていたんだなと思う。

何かに漠然とした怖さを感じた場合、
解放されたいからこそその怖さの正体をちゃんと見て最善の逃げ方を考えたり、
意外と平気だなと思ったり、
こりゃ怖がっても今の私じゃどうしようもないからなるようにしかならんわな、などと諦めたりした方が楽になれる気がする。

1年間、「夫が家にいる」「毎月0から稼いでみる」「嫌な仕事は引き受けない」生活をしてみたところ、

夫婦喧嘩はあるにはあるが、その数はかなり減り、子育てのことで悩むことはなくなったように思う。
これは会話の量が増えたことによるものだと思っている。
そして家計も意外と回るし、お金が理由でのケンカはほぼしなかった。

良いことばかり言っているようだが、決しておすすめをしているわけではない。
スローライフだね、などと言われることもあるのだが、そんなことはまずない。

見知らぬ誰かから無責任だと叱責されることもあれば、
私が家族を背負っているんだ、などと勝手に重圧を感じて眠れなくなり、
隣で寝息を立てる夫を恨めしく思う日もあるし、
家焼き肉では、涙をのんで厚切り牛タンから普通の牛タンにする日もある。
(見栄を張った。普通の牛タンから薄切り牛タンだ。)

本気でのんきに生きていくのはなかなかに大変だ。

1年を振り返ってみて、なんだか我ながらあっさりしているなと思うのだが、
今日もこの1年間もそれらしい顔でそれらしいことをたくさん言ってみたけれど、
家族や家族のかたち、働き方、どう生きるかなんていうのは、やはり理屈じゃないと思うのだ。

私はこんな思いをもったこんな人間です、なんてものもなく。
私たちはこんな思いを持ったこんな家族です、なんてものもなく。
これからもきっとどう生きていきたいかなんて説明できない。

自分でも驚くほどに毎日毎日変わっていく。
変わらないのは今と自分と自分の大切な人を自分なりに大事にして生きることだけだ。

多様性は人の数や家族の数だけあるんじゃなくて、一人の人の中や、一つの家族の中にあるのだと思う。

これからも私はずっと自己紹介が苦手なんだろうと思った2年目の始まり。

2年目のこの生活も、
やはりすべては心の決めたままに、
のんびりと力を抜いて生きていきたい。
(今夜は久しぶりに布施明のマイウェイでも聞いて痺れることにしよう!!)

写真は、1年前は厚揚げとバナナを朝食として出してくれた夫の今朝の朝食。ホッケとみそ汁とごはんと白湯。

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