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この道は私にとってのまっすぐだ

今年一年を振り返って反省することは特に何もないのだが、
心のどこかで「こんな風に生きていて申し訳ない」と唯一後ろめたく思っていたのは父母に対してだ。

あんなに一生懸命育て、与えてくれたのに、期待を裏切ってしまってごめんねと思っていた。
未だに心配しかかけていないだろうことに申し訳なく思っていたのだ。

8月だったと思う。
「楽しそうに生きているね」と言う父に「ごめんね」と謝った。

「何を謝ってるんだ」と笑う父を見て、
分かっているはずだろうに、と思いながらも目を合わせずに
「何一つ言うことを聞かないで好き勝手やってるから、心配かけているよね、と思ってさ」
と、なるべく何てことのない風に早口で言った。

この話題は、一応謝っておきたいけれど、でも早く終わらせたいようなそんな話題だった。

楽しく生きていてくれて嬉しいと思っているよ、と父は言った。

「ああしろ、こうしろ」は、幸せになって欲しいと思って言っていたことだから、と父は続けた。

父と母の人生の中で、自分たちが知っている限りの幸せになれる術を教えたいと思っていたのだと。

幸せになれるかどうかは分からなくても、なるべく傷つかず、困らないで生きていける確率の高い道を伝えたいと思っていただけだよ、と父は言う。

全ては幸せになって欲しいという思いから伝えてきたことだから、今私が楽しく生きているのならば、それは父母がずっと願っていたことなのだと。

今だって心配に決まっているはずだ。
それでも自身も親になった今、この父母の言葉を素直に信じることができる。

父と母が8月に私に伝えてくれたこの言葉たちを、私も自分の子どもたちに伝えるだろう。

「ならいいんだ。ありがとう」
と、また何てことのない風に早口で言ってこの話を終わらせた。

私が楽しく生きていることを父母も嬉しく思ってくれているのならば、私にはもう後ろめたく思う理由は何一つ無い。

なので、日々嬉しいことも残念なことも含めて様々なことが起こるが、やってみたいことがある限り長々とダメージなんか受けている場合でもなければ反省に割ける時間もそんなにない。
反省したところで、「そんなこと(今更)言ったってしょうがないじゃないか」でしかない。

それはそれで、今までは今までで、これからはこれからなのだ。

好き好んで嫌われたくはないけれど、
何故だか譲れないものがあったり、何故だか違うと思うものがあったり、何故だか合わせられないものがあったりなど、
自分なりのこだわりを持って生きるということは、共感されることもあれば批判されたり嫌われたりぶつかったりして当然なのだと思う。

いちいち言い訳したくはなるけれど、誰かを納得させるために生きているわけではない。

そう自分に言い聞かせて、理由のつかない自分のこだわりを自分くらいは「めんどくさいな」と思いながらも大事にしてあげたい。

やりたいことも心も変わる。
明日も変わる。
noteはそんな移り気な私の心の備忘録だ。

この道は私にとってのまっすぐだ。
来年も平気で生きよう。

良い年だった。

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