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現場の先生との異文化交流記

この記事は、理科教育Advent Calendar 2020の13日目の記事です。
理科教育を専門とする研究者である私と、ある現場の先生(異文化)との交流について体験談を綴ります。
学校現場でエスノグラフィーによる授業研究を考えている若手研究者や、研究者との共同研究に興味のある現場の先生にとって、一つの事例になればうれしく思います。こんな研究者もいるんだなという程度でも参考になることを願って書きます。
なお、理科教育Advent Calendar2019のMIURA, masami先生の記事に刺激を受けて、研究者からの視点で現場の先生との関わりについて書こうと思い立ちました。

自分自身のこと

まずは、自分自身について書きます。
私は理科教育を専門とする研究者です。主に小学校の理科授業を研究の対象にしています。質的な分析を用いているため、実際に小学校の教室に入り、授業観察と撮影をすることが研究のルーティーンです。

首都圏の大学院を修了し、幸運なことに地方の大学に就職することができました。しかし、縁も所縁もない土地での就職でしたので、もちろん知り合いはひとりもいません。
私自身の研究は現場の先生の協力がないと何もできない研究です(授業を観察させてもらわないと何もできない)。
就職はでき安心していたものの、研究に関しては途方に暮れていました。
就職したからには、この土地で研究を進めたいという想いがありました。

現場の先生のこと

つぎに、私が出会い、のちに共同研究者となる現場の先生のことについて書きます。
私が就職した土地の全国小学校理科研究協議会の研究会で研究を推し進めてきた先生です。この土地の理科教育と実践について精通していました(都道府県によって目指されている理科授業は異なっている・・・と思う)。

文部科学省が行っている仕事も担当されており、全国の先生とのつながりが強い先生です。本人はたぶん否定すると思いますが、私の捉えでは、スーパーエリート教師。そのため、ここから先は、S(スーパー)先生と呼ぶことにします。

異文化交流のスタート

出会いは飲み会がきっかけでした。
飲み会といっても残念ながら異性間交流会などという素晴らしいものではないです。しかも、その場でS先生と出会ったわけではなく、出張で首都圏に戻っていた際に一緒に飲んでいたT先生(とってもスーパーな先生)が、知らない土地で研究が進められてない私を心配して「その土地に知り合いがいるから紹介するよ、いまメールするから」と、その場でS先生に連絡をとってくれました。
幸運なことに話はスムーズに進み、S先生と会うことに。

ここで告白すると、私は現場の先生と話すのがこわい。
学校現場のことや子どものことを知らない自分にとって、現場は異文化。毎回、緊張してしまいます。
何か考えを求められても、理論的なことは言えますが、実践的なことは何も言えず・・・自分の力不足を感じてしまいます。話しているうちに相手の顔かだんだん曇っていく・・・話しにくい・・・こわい・・・の負のループ。
(ネガティブな性格もあると思うが)このような研究者は、実は多くいると思っています。現場の先生と関わることに対してハードルが高いと感じている研究者は多いはずです。(私自身、就職した土地の現場の先生に「現場経験がないのに教育法の講義ができるの?何を教えるの?」「現場も知らずに大学で本ばかり読んでいる研究者なんて必要ないからね」と厳しい言葉をいただき、関わることへの難しさを痛感した)

話を戻します。
S先生にご挨拶に行き共同研究者になっていただくことになりました。今後の方向性として、授業を観察すること、授業を分析してフィードバックをすること、授業記録の分析内容は査読論文としてまとめること等を確認しました。
ついに縁も所縁もない土地での授業観察が始まりました。しかし、授業を観察する中で問題が生じ始めます。S先生の授業(この土地の研究会で大切にしているもの)と私が研究で大切にしたいものが全く異なることがわかりました。そこですぐに話し合えばよかったのですが、残念ながら私は年上の現場の先生に何かを意見することがとてつもなく苦手でした(ゼミの学生には偉そうに話していますが・・・)。
なかなか「全く異なる授業をしてください」とは言い出せずに時間だけが過ぎていきました(なんと、その間に4単元も観察した)。
楽な方に逃げようと、共同研究をやめる方向に進もうかな、できればフェードアウトできないかなと考えてしまっていました(いま考えれば非常に失礼な話です、反省)。

話し合いによる異文化理解

4単元を観察し終えたところで、何も分析を始めない私に対して、S先生の不満が爆発しました。そして、ついに今後どうするのかの話し合いから逃げられなくなりました。
結論から言うと、話し合って本当に良かった!かなり喧嘩のようになりましたが・・・。
話し合いでは「資質・能力をどのように捉えるか」と「研究者の仕事とは、現場の先生の仕事とは」の2つの視点を主に話し合いました。

「資質・能力をどのように捉えるか」を話すことで、資質・能力について具体的に共通認識を図ることができました。この段階では、それぞれが考える資質・能力が育成されている子どもの姿にずれがありました。このずれが原因で、授業で大切にしたいことが一致していませんでした。「S先生の思考力、判断力、表現力等の捉えは甘すぎる、それは違うと思う」「研究者のその考えは子どもの意識を大事にしていない、そんな授業はしたくない」などの言葉が喧嘩口調で飛び交いました。

「研究者の仕事とは、現場の先生の仕事とは」を話すことで、お互いの仕事を理解することにつながりました。お互いがお互いに不満をもっていたため、不満に思う背景について理解できたと思います。私からは研究者として、「研究とはどういうことをするのか」「論文とはどういうものなのか」「授業分析はとても難しい」ことなどを伝えました。S先生からは現場の先生として、「授業を行うとはどういうことなのか」「授業を誰かに公開することはどういうことなのか」「授業1時間1時間にかける想い」などが出されました。

話し合いをしてよかったことは、研究を進める上で、目指す子ども像がお互いに一致して授業で大切にする理論の共有が図られたことです。また、お互いの立場(役割・仕事)を尊重することにつながりました。
まさに、異文化理解が進んだ瞬間でした。
この2つの話し合いの視点は、研究者と現場の先生を強固につなぐことに対して有用であるように思います。補足ですが、決して、喧嘩口調で話す必要はありません。

この異文化理解後の研究活動では,私が理論をS先生に説明し,それを基に具体的に単元構成や授業計画をしてもらいました。そして,授業観察で私が見取った子どもの様子をフィードバックし,それを基に授業計画を共同して修正していくことをしました。
あるべき共同研究が進んでいきました。

おわりに

S先生の学級の子どもたちとのことについて最後に書きます。この学級にはトータルで1年半ほど関わりました。5年生の途中から6年生までです。
子どもたちは、私のことを受け入れてくれ、理科の授業だけではなく、一緒に給食を食べたり、休み時間にはダブルダッチを教えてもらったり、雪の上でおにごっこをしたりしました。
ありがたいことに、子どもたちの卒業式に参列することができました。子どもたちは卒業証書を校長先生から受け取る際に、将来の目標を壇上で宣言することになっていました。
ひとり目の女の子が「お母さんのようなバレエの先生になる」と言ったときに目に涙が溜まり、ふたり目の男の子が「(家を継いで)立派なパン屋さんになる」と言ったときには涙がとまらなくなっていました。

涙がとまらなくなった瞬間に、S先生と子どもたちのおかげで、私は学級(異文化)のメンバーになれていたんだな(してもらえていたんだな)と実感しました。

S先生との共同研究を通して、学級(異文化)のメンバーになれたことで、研究者としての第一歩目を踏みだすことができました。
異文化の中では学ぶことが多く、たくさんのものをもらいました。異文化をちゃんと理解するためには、その中に身を置くエスノグラフィーの大切さを実感しました。
人間としても研究者としても成長させてくれた、S先生と子どもたちには感謝しています。
S先生と子どもたちのすばらしい授業の記録を論文として残していくことが、今の私の役目です。


個人的な体験談にお付き合いくださり、ありがとうございました。
この記事は裏テーマとして、理科教育の研究において、エスノグラフィーによる質的研究が増えることを願って書きました。

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