野沢那智さん
『19』には、とても意外な人が映画「初」出演している。
野沢那智さん。
『ダイハード』のブルース・ウィリス本人よりもぴったりなボヤキ口調に、アラン・ドロンやアル・パチーノなど、僕の大好きな俳優たちを担当している、アニメや洋画の吹替の世界では知らない人はいない名優だ。
声を聞けばすぐに、どこに那智さんが出演しているかはわかるが、とても重要なシーンに、華を添えてもらいたかった。キャスティングのときに、シーンの構成上、「声」だけで空気感を表現できる俳優はいないかと考えていて、ぱっとひらめいたのが那智さんだった。
「顔出しで映画はやったことがない」
との理由で、当初、那智さんには出演を断られてしまう。
だが、とても礼儀正しい人で、わざわざ僕に直接、お詫びの連絡をくれた。電話の声が、まさにアラン・ドロンだったので、断られているのに声が聞けて、ファンとしてうれしかったりもした(笑)。
「自信がない」という那智さんに、「僕も出演するんですけど、ずぶの素人です」と話したら、すごく驚かれて「監督がそんな大それた挑戦をするなら、自信がないという理由では断れない」と、なんと出演をOKしてくれた。
現場では常にタバコを欠かさず、立っているだけで格好良かった那智さん。「自信がない」とおっしゃっていたが、荒くぶっきらぼうな僕らの演技に対して、緩急をつけて包み込んでくれるような、素晴らしい演技だった。
那智さん自身も演出家なので、幾つか考えてくれたプランもあり、狭いフレームの中で工夫しつつ、「ちょっとここで、ジェームズ・ディーンみたいな仕草をしてもいい?」など、話していてとにかくたのしかった。
映画の公開時には、テアトル新宿での初日舞台挨拶に登壇したり、アニエスベーとのコラボレーションイベントでは、僕と川岡大次郎くんと一緒に参加してもらうなど、忙しい中、常に作品に協力をしてくれた。
また、公開が終わったのちも、手紙を頂いたり、舞台に誘っていただいたりと、交流は続いた。
実現できなかった企画だが、もう1作、那智さんにお願いしたい役柄があった。企画を開発しているときに、那智さんに脚本を送り読んでもらったら、「映画は『19』が最初で最後のつもりだったんだよ!」と、困惑する那智さん。「那智さんで、あてて書いちゃってるんですけど、ダメですか?」と聞いたら、「じゃあ、がんばるよ」と、笑ってOKしてくれた。
那智さんの訃報は、映画『USB』の舞台挨拶のために高知へ向かう途中で聞いた。ああ、もう那智さんと一緒に映画はつくれないんだと、あのとき企画を実現できなかった自分の力不足を激しく悔いた。
いつも、那智さんのことを思い出すとき、「声」と一緒に、『19』の撮影現場で絶えずタバコの煙をくゆらせていた、格好良い姿が浮かんでくる。少し憂いのある瞳にしわをよせた表情が、色っぽかった。