井筒俊彦*ボルヘス*ボルヘス*カバラ、ボルヘス

 「世界で最も難しい言語はどれか?」はあまり有効な問いではないとされる。その言語の性質以外の外的要因、とりわけ学習者が何を母国語としているかによって、答えが全く違ってくるからである。しかしながら(あるいはそういうわけで)、「日本語を母国語とする者にとって最も難しい言語はどれか?」と問いを立て直してみるならば、イスラーム学者井筒俊彦の経験談はひとつの参考となりうるように思える。井筒俊彦の語学的天才性については幾多の途方もない伝説が残されているのだが(一か月で一言語を習得する、文献は丸ごと暗記してしまう)、ひとまず豊子夫人の証言に依拠するならば、専門となるアラビア語を含め、どれだけ少なく見積もっても十七の言語は非常に高いレベルで操ることができたらしい[1](英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語、古典ギリシャ語、ロシア語、ヘブライ語、中国語、サンスクリット語、パーリ語、トルコ語、ペルシア語、シリア語ほか)。その井筒俊彦が語学について問われて曰く、
 ・英仏独のような近代ヨーロッパ語はあまりに簡単すぎて外国語とは思えなかった。「難しいなんていう人の気持ちがわからない」。
 ・近代語の中で、ロシア語だけは少し「抵抗」が、つまり歯応えがあった。
 ・古代に思想文明をもたらした言語、例えばサンスクリット、ヘブライ語、古典ギリシャ語、古典アラビア語などは、強い「抵抗」があって面白い。「挑戦的というか、難しければ難しいほど面白い」。
 「だけども」と彼は言う。「[古典]アラビア語だけはあんまり難しくて、ちょっとまいりましたね」[2]。だからこそ、彼はその言語を専門に据えてかじりついたのである。「朝起きる時から、明け方近く床につくまで、アラビア語を読み、アラビア語を書き、アラビア語を話し、アラビア語を教へといふ、今覚へば嘘のようなアラビア語の明け暮れであつた[3]」。
 だから少なくとも、日本最高峰の語学の天才を躍起にさせた言語として、古典アラビア語には畏怖の念を覚える。
 

 
 作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスはこれまでに受けた数々の栄誉の中で、何よりも嬉しかったのは母国アルゼンチンの国立図書館館長に任ぜられたことだと言う。小さな頃から父の蔵書に囲まれて育った彼は、天国というのはきっと図書館のような場所だろうと想像していた。そして今や彼はその天国にいた。一方で、遺伝性の弱視はもう完全な盲目に変わろうとしていた。ある時彼は、自分がもはや本の背表紙さえも判読できないことを認めた。図書館という天国の中で、彼は神の不思議な皮肉を思った。彼はのちに「天恵の詩」に書いている。「素晴らしい皮肉によって/私に書物と闇を同時に給うた/神の巧緻」[4]。
 

 
 ボルヘスが古英語とスカンジナビア語を覚え、中世文学を学び、自らの主要な詩作をなしたのは、読み書きの視力を完全に失ってからのことである。
 

 
 カバラ、すなわちユダヤの神秘思想の伝統においては、ヘブライ語聖書原典に書かれている文字はそのひとつひとつが意味を持つ。例えば、その書の最初の文字——冒頭文「はじめに神は天と地を創造した」の「はじめに」にあたるヘブライ語「べレシート」の頭文字—— ב(bêth)は、「祝福」を意味する「ベラハー」の頭文字でもある。だから聖書はこの文字で始まらなければならなかった、とボルヘスはカバラについての講演で言う。聖書は、「呪詛に相当するような文字で始まるわけにはいかなかった。祝福で始まらなければならなかった[5]」。



[1] ナスロッラー・プールジャヴァーディー、「井筒先生との最後の会見」、若松英輔編『井筒俊彦ざんまい』、慶應義塾大学出版会、2019年、p. 102。
[2] 司馬遼太郎、「アラベスク——井筒俊彦氏を悼む」、同書、p. 174-175。
[3] 立花隆による引用。「職業選択を誤らなかった話」、同書、p. 66。
[4] ホルヘ・ルイス・ボルヘス、『七つの夜』、野谷文昭訳、岩波文庫、p. 200-201。
[5] 同書、p. 176。


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