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新社会人とSNS①

今回は新社会人1年目にフォーカスしてお話します。
この時期も今の私を形成するにあたって重要な期間となってます。

この時の経験が、今の「仕事への向き合い方」に繋がってきているのです。



専門学校も卒業し、ご縁があって私は不動産業界へ勤めることとなりました。
大手の不動産会社だったため、私はそれがステータスでもありました。

まあそもそも、当時はネームバリューが全てと思っていたので、大手しか見てませんでした。

今思うと、このネームバリューが全てというのも「他人から見られる私」を気にしてのことだったのです。

「大手で働いている私」

親からも自慢の子供。
自分でも自慢できる会社。

歪んだ認知だと思いますが、
人ってそういうところで他人のことを測りますよね?

どんなにきれいごとを言ったとしても、
結局は有名であればそれだけで価値がありますよね?

見た目も同じ。
どんなに性格や中身といっても、最初に他人を測るのはルックス。

お金持ちが見た目が良いとは限らないですが、
大抵見た目が良い人はお金を稼げる、に違いないと思いませんか?

こんなルッキズムの考えはもってても苦しいだけなのに、なんで私はそうとしか考えられないのでしょうね…。


ちょっと話がそれてしまいました
戻ります。

本当は東京で働きたかった…のですが、配属が福島県になり、当時彼氏のMくんとは遠距離になります。

そして、社会人1年目、厳しい現実をみることになります。

とにかく1年目は苦しいことばかりでした。
私は営業職だったので、とにかく数字数字数字。

配属先も数字が全ての店舗。
逆に言うと、「できる人しかいない店舗」だったのです。
そして、私が配属されたタイミングは東日本大震災後の福島県だったため、稀に見る需要過多な状況で空きがあれば埋まる状況でした。

挨拶も返してくれない先輩がいたり、新人なのをいいことに数字を奪う先輩がいたり、きつい言葉を遣う先輩がいたり。

とても目上の人に話しかけてしまうくらいに社会を知らなかった甘ちゃんには、本当に辛い時期でした。

大して教えてくれる人もいない中で手探りでやっている状況で、店長に怒鳴られるわ、案件を振ってもらえず、経験も積めないわ、しまいにはコップが下向きになってると水がこぼれていくとまで言われ…そもそも水をもらえてないんだけど?と思いながら苦しんでいました。

一年前に、同じ状況下の中配属された先輩はとてもできる人で、厳しいけど私のことも気にかけてくれる人でした。
その人は入ったばかりでも、ちゃんと成績も上げていて憧れでした。

今でもその人の言葉で「ここで成功できない人は、どこにいっても成功しない」という言葉がずっと残っています。

その言葉を聞いて、「どこでも成功できる人間になろう」と思ったのを覚えています。

と、言いつつも、とにかく毎日仕事に行くのは辛く、私の今までの全てを否定され、覆されたような気持ちでした。

多分当時はすぐ辞めると思われていたでしょうね…
でも「ほらやっぱり辞めた」と思われるのがとても嫌だったので無理やりしがみついている状態でした。

それでも、自分なりに耐えたと思います。
自分のダメなところを全て見つめなおしたと思います。

1年働いた頃、辞令が出て、栃木県へ行くことに。

転勤してみて、私は拍子抜けしました。
本当に辛い店舗に私は居たんだなと。

栃木には同期もいて、皆ワイワイと働いていました。
私の今までの1年は何だったんだろうというくらいに伸び伸び働くことができるように。

そして、みるみる業績も上がり、ブロックで表彰され1位を獲るまでになる
のです。

ある時、以前福島の時に怒鳴られ、案件も振ってくれない店長が私の店舗に異動してきました。
ですが、その時は全くもって私への対応が違うんですよ。
むしろ案件は私にばかり振ってくるのです。
私のスケジュールがパンパンになると、次のお客様が押して契約手続きが出来なくなるタイミングが多々ありました。
その時は、その上司が契約手続きを代わり、私が次のお客様の接客をする…そういうことが度々あり、私はもう楽しくて仕方がありませんでした。

同時に、その時同じ店舗にぬくぬく優しく育てられてきた同期がいたのですが…その同期は案件を振ってもらえず、私だけが一人繁忙期をしている、とう状況になっていたのです。

また、以前の店舗にいた、挨拶をしても無視をしてきた先輩と会うタイミングがあったのですが、その時に「ひなちゃん!頑張ってるね!」と拍子抜けするような声のかけ方をされたのです。挨拶はもちろん、名前なんか呼ばれたことない上に、下の名前で呼ばれるなんて信じられなかったです。

「店長を見返すことができた」
「全然違う環境でやってきた同期より上にいけた」
「無視されていた先輩に認めてもらえた」
もうこれだけで、私が1年耐えた意味がありました。

そこからの私は、自分の得意分野での地位を獲得し、
忙しく働くことが楽しくて仕方がありませんでした。

もちろん数字のプレッシャーや、どんなに頑張っても次の月にはゼロにリセットされる虚無感はありました。

ただそれ以上に、その分野において私が一番であるということに優越感を感じていました。

2年目以降は一緒に働く人たちもとてもバランスが良く和やかに仕事ができ、私にとって本当に大事な職場の人達で大好きだったのです。

仕事以外でも、よく飲みに行ったり、時にはポケモンGOをみんなでやったり、近くの公園でバスケをしたり、BBQをしたり、スポッチャへ行ったり。

大好きだった上司とは、辞めた今でもたまにご飯に行くこともあります。

本当に大好きでした。

仕事も上手くいき、働く人も大好きな人たちばかり。
ただ、その頃から営業職としての違和感も覚えていきました。

「相手に本当に必要なものでない売り方をしなければならない」ということです。

私は、当時働いている時も基本的には相手の不利益にならないような営業を心がけてはいました。

ですが、やはりそれだけではやっていけないのが営業の世界。
辞めるかどうか迷っていました。

人が望むことを100%やってあげたい。
そういった仕事に就きたいと思い始めた私は、医療業界へ憧れを抱くようになりました。

最終的に不動産は5年働いて辞めたのですが、
営業の世界に嫌気がさして、だけではなく、ある男性の存在がありました。



その男性とはSNSで知り合いました。
少し、そのSNSについてお話します。

学生時代、外国語専攻だったため、英語の勉強をするためにある海外のSNSを始めます。

X(旧Twitter)と同じような形でつぶやきをあげられるSNSです。
本当に最初の目的は英語の勉強のため、だったのですが途中から目的は変わり「SNSのアイドル」でいることになっていきました。

これは社会人になってから段々ヒートアップしていきます。
先程お話したように、とにかく1年目は辛く、その時間を当時の彼氏Mくんとの連絡の時間か、そのSNSか、に充てていました。

先にお話しした男性と知り合うのはもう少し先のことです。

そのSNSについては次回②でお話しします。
今回は仕事についてのお話でしたが、②ではその仕事をしているタイミングにSNSにハマり段々と人生を狂わされていく様子と、また、荒れた男性との関係について書いていきたいと思います。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

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