時には、私たちを居心地悪くさせるものがある。時には、それが大事になることもある。

私のアウトプットは、表現や添付データ、考え方の中に、閲覧される方を時に不快にさせるものがあるかと思います。

不快なものを拒絶する権利を侵害するつもりはないのですが、その様な思いをされた方には心底お詫びします。

ただ、私個人としては不快なものを直視しその不快感や違和感を理論的に理解してこそ異文化理解が可能になると考えます。

なぜならば、ある人の不快がある人にとってそうでない場合、そこにこそ異文化が存在すると考えるからです。
快、不快は人間の生理的要素であり、そこに差異は生じにくいです。例えば、日本での不快(汚い、痛い、臭い等)はケニアでも不快なこことがほとんどです。しかし、そこに差異が生じる場合はまさに文化の違いがあるからだと考えます。

私は不快を積極的には受容し、異文化理解を深めたいです。

ピュリツァー賞の写真を「児童ポルノ」として削除 Facebookが検閲撤回へ裸の画像だったから、Facebookは投稿を削除した。m.huffingtonpost.jp

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