スワヒリ語考 スワヒリ語は障害者や奴隷を人とはみなさない言語か?
これまで日本語、英語、中国語、スワヒリ語と4つの言語を学びました。
スワヒリ語と他の3つの言語の大きな違いは、名詞クラスという概念があることです。
名詞がその属性によっていくつかのクラスに別れ、単数か複数かでその名詞の語頭が変化します。
更にその名詞クラスにより、動詞や形容詞の語頭も変化します。
仮に私(1人称単数)が主語の場合に「私は おいしい ご飯を 食べます。」という日本語を基準に考えると、先生(3人称単数)の場合は「先生は せいしい せ飯を せべます。」といった感じです(あくまで雰囲気を知ってもらうための例で日本語の活用は無視しています)。
主語や修飾される名詞によって、動詞や形容詞の語頭が変化します。
英語で言うと「beautiful flower」も「beautiful teach」も「flower」と「teacher」を修飾する形容詞「beautiful」は変わりません。しかし、スワヒリ語では形容される語が「ua(flower)」か「mwalim (teacher)」かによって形容詞の語頭が変わってきます。
で、なにが言いたいのかというと。
スワヒリ語圏(その起源となるアラビア語圏)の文化では、者(物)がどのクラスに所属するかによって扱いが明確に異なるのではないかということです。
文化的に物の違いを差別化するあまり、名詞のクラス分けによる差別化が、動詞や形容詞の語頭の変化にまで影響を及ぼしてしまったのではないかと考えています。
日本においては、八百万神が万物に宿っており、人だけでなく物に対してもある種の敬意を払います。しかし、スワヒリ語圏文化においては、万物をクラス分けしそれぞれを全く別の存在として扱うようになったのではないでしょうか。
そもそも、スワヒリ語自体がアラビア語を語源としてインド洋での貿易を円滑に進めるために発達した言語そ言われます。よって、ケニアにおいてもインド洋沿岸やザンジバル近辺ではオーセンティックなスワヒリ語が使われています。
そして、スワヒリ語においては、人(女、男、先生、農民etc)の名詞クラスと障害者(盲人、歩行障害者etc)や奴隷のそれとはは異なります。
語学学校では、障害者を修飾する形容詞や主語とする動詞は、人の名詞クラスと同じ活用をすると教えられます。
しかし、名詞クラスが異なる分類をされているということは、原始的スワヒリ語では、動詞や形容詞の活用も異なっていたことは、想像に難くありません。
つまり、スワヒリ語圏において、健常者と障害者(や奴隷)とは区別されていたのではないかということです。これは、日本語にも様々な差別語があるのと似ています。
しかし、「クラス分け」という明確な差別化がなされているという点では、日本とは文化の違いがあるのかもしれません。
いずれにしても、これらのこと違いを意識しつつ、語学学習と文化探索を続けていきたいです。
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