「言葉のずっと奥のほう」

子どもを大人扱いする 大分乱暴だなと思う
子どもを子ども扱いしない そう言い換えても乱暴さは変わらない
それは
子どもひとりひとりを見ないで
大人のが子どもをひとくくりにとらえて
大人の都合のいいように
大人の事情を先に片付けようとするから

子ども扱いされたくないその気持ちは
どんな境遇にいるからなのか
どれほどの深刻さがあるのかを
じっくりと寄り添い耳を傾けることから始めなくてはならない

子どもは大人になりたいわけじゃない
子どもは子どもでありたいわけでもない
子どもは自分が子どもだなんて思っていない
子どもは自分のことを子どもだなんて呼ばない
わかる?
子どもは子どもなわけじゃない

ぼく だったり わたし なんだから


初めて出会い 言葉を交わしたとき
「ぼくのおかあさんになって」
突然そう言われたら
大人の心は動揺する
縫い目がほつれてしまいそうな笑顔と
少し震えた色の薄い声で
こう答える
「ごめんね それはできないんだ」

いろいろな配慮
いろいろな立場
いろいろな正しさ
それを束ねて精一杯の誠意も添えられた答えは
間違ってはいない

けれど
多分 ぼく が 欲しかったものじゃない
正解なんて 誰にも ぼく にも わからない
ぼく が 欲しいのは 正解じゃない 正解じゃなくていい
ぼく の 気持ちは この世界に 今 生まれたものだから
正解は この世界のどこにも 落ちていない どこにも 書かれていない
正しい答え じゃなく あったかい 応え が欲しいんだ
ボタンを押して 返ってくる 答えじゃなくて
あなたが ぼく に すこしずつ 近くなるような 応えが 欲しいんだ
それは そんなに むずかしくないよ
むずかしく 考えることを しなければ

ゆっくり ゆっくり 顔を向けて
ゆっくり ゆっくり 体をゆるめて
ゆっくり ゆっくり リズムを感じて
ゆっくり ゆっくり はじめての ぼくを みつけてね

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