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エネルギー徒然草

 こんにちわ。近頃の環境意識の高まりによって、皆さんの中でもエネルギー問題に関心のある方が増えているのではないかと思います。ただ環境意識に関わるというだけではなく、産業や安全保障の領域での喫緊課題、裾野の広い話題として身近に感じられている方々も多いのではないでしょうか?

 エネルギー問題を鑑みるに、元を辿れば18世紀あたりから始まった産業革命が大きな転換点として挙げられると思います。産業革命のその心を一言で表すと「いかに楽して沢山作るか」という事になるのかなと思います。モノグサは発明の母という事で、蒸気機関が人力にとって変わり、ここが同時にエネルギー問題の出発点になったとも言えます。

 私は以前、オランダで暮らしていた時期があり、欧州各地の博物館などで、そういった「動力」に関わる展示をよく目にしたものでした。産業革命は欧州のお家芸だったので、畢竟そうした展示や話題が多かったという訳です。エネルギー問題が叫ばれている昨今、その時の思い出徒然をここに記しておこうと思います。

 先に言っておきますと、エネルギー問題の話ではありますが、あまり真面目な論調は期待されない方が吉、かと存じます。この話を通じて少しでも問題解決の糸口につながれば、などという殊勝な気負いは全くなく、エネルギーに関わる面白おかしい話を徒然に挙げているだけの記事、箸休めとか刺身のツマとかそんな位置づけの話として受け止めていただければ、と思います。

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 写真はドイツの博物館で見た色々なエネルギー機関の模型です。模型といっても全高2m以上はありそうな大きなもので、風車、蒸気機関、発電装置など様々なものがあり、なかなかの壮観でした。これプラモにしたら爆売れじゃないか?と思うくらい心を掴まれました。

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 これは建物にインストールされた蒸気機関の模型、多分実物大。真ん中のピストンのデカさからその高い出力が伺えます。端っこに人が見切れていますが、それでこの二階建て規模の大きさが伝わるかと思います。御神体というか神殿的というか、何だか有り難みがあり、これが動いていたら相当な胸アツだと思いました。

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 これは昔、ドイツの炭鉱だった建物をデザインミュージアムに改装したものです。おそらく石炭を運んだりする為の蒸気機関がインストールされているようで、メカフェチ、廃墟フェチ、巨大建造物フェチ、金属フェチ、など種々フェチゴコロを一挙同時にくすぐる大変ナイスな場所でした。

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中はこんな感じ、お好きな方には堪らないスティームパンキーな空間です。

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 そんなフェチゴコロをくすぐる空間をそのままデザインミュージアムに改装、とかカッコ良すぎるやろ!ズルい!儲けやがって何か奢れ!と、頭の中がおかしな事になるくらい印象深い空間でした。ドイツはエッセン、レッドドットミュージアム、という所です。

さて興奮のあまり、少し話題が逸れてしまったようです。たしかエネルギーの話でした。

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 蒸気機関の発明から、それは工場などの建物、鉄道などに使われていく訳ですが、当然「馬車の代わりにどや?」みたいな事を考える人たちも居たようです。写真は自動車の祭典、イギリスのグッドウッドフェスティバルに来ていた蒸気機関自動車です。

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 蒸気機関の弱点として小型化が難しい、という事があり、この蒸気自動車もキャビンはほぼ二階建て状態で、乗り込むのもちょっと厄介です。石炭を焚くのもあまり安定しないようで、この時はうまく動かず、オジサンがずっとあちこちを弄っているだけの見世物でした。

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 鉄道では蒸気機関車と電車のハイブリッドのようなものもあったようです。ドイツ語で書いてあったので詳細までわかりませんでしたが、写真は石炭でタービンを回し発電するタイプの牽引車のようです。EVであると同時に石炭、なのでちっともエコではありません。

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 実は自動車も初期はEVを検討していた時代があったようです。ガソリンと石炭と電気とどれが良いかなーと試行錯誤している時代です。写真はポルシェさんがポルシェを立ち上げる前に発明したEV、エンジンではなくモーターを回すタイプの自動車です。前輪ホイールの中についている丸いケースがモーターです。

 電気はエコだが電源が火力発電では意味がない、というような議論が喧しい昨今ですが、この頃既に石炭、石油を電源にしているEVは存在していた訳で、それが主流にならなかったのは「エネルギーをどう持ち運ぶか」という問題が大きかったのではと思います。欲しいエネルギー量と携行性が両立するのはやはりガソリン、電気では送電途中のロスが大きすぎる、蓄電は安定しない、などの問題が付き纏う訳で、この頃にこうした答えがボンヤリと見えていたというのは面白い所です。

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 かたや鉄道に関してはエネルギーの送り先が決まっており、線路がある所だけ送電できれば良いので、高出力発電装置が発達していきました。この写真は発電機、もしくは電気を動力に変換するものだと思いますが、高さが私の身長以上あり、これが動いている時そばにいたら、それだけで死んでしまうのでは?といった迫力がありました。

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 記事冒頭に挙げてあったこの写真は、大電力を変圧したり送電したりするための機械でこれもやたらバカデカイものでした。四本立ってる絶縁碍子タワーの形に昔懐かしきSF感満載、またもや胸が熱くなってしまいます。

 電気か燃料か?という事を語るのに結局「エネルギーをどう送るか」という論点が欠かせない事が薄ボンヤリと見えてくると、イーロン・マスク氏がテスラを通じてやろうとしている事がなんとなくわかってきます。「自動車という車輪付きバッテリー」が遍く存在する送電コストの無い世界、というのがその姿かな、と思います。

 テスラ、の社名になったニコラ・テスラの事をご存知でしょうか?エジソンと発明王を争った天才科学者で、交流電気の発明者です。エジソンが推していた直流電気の形式では送電に色々課題があったようで、交流がスタンダードになってから世界のいろんな所で電気の恩恵に預かる事ができるようになった、という経緯があります。マスク氏はニコラ・テスラの意思を継ごうという心意気でテスラという社名を選んだのではないでしょうか?

と、危うく真面目くさい論調になってしまう所でした。ここでちょっと気を入れ直し、本来の論調に戻して続けたいと思います。

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 さて、これは何でしょう?早速答えを言ってしまうと「馬動力」です。このキャタピラ状の台に馬を乗せて動力を回転軸に移し、粉挽きとかの単純労働に使おう、というものです。今の動物保護団体が見たら卒倒しそうな代物ですが、確実に一馬力ある、当時としては優れた動力源だったのではと思われます。

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 産業革命以前、動物力というのは割と欧州のどこでもあった発想のようでこんなものを作ってはうまく活用していたようです。風車とか水車とかは自然状況に左右されますから、いつでも使いたい時に使える動物車は格別に便利なものだったのでしょう。しかし実際はそんな都合よく歩き続けてくれたのか?という疑問もあり、当時の記録によると労働をサボった家畜を裁判にかける、なんておかしな事もあったようです。

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 さて、これはどうでしょう?上は動力を伝える歯車のシステム、そして動力は?という所が肝心なのですが、台座が動力源になります。

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 この台座部分にはなんと犬を入れていたそうです。先程の馬も随分アレでしたが、こちらの犬動力は今のご時世から言うと完全にNG、アカンやつです。最初の方で、産業革命とは「いかに楽して沢山作るか」という事だと述べましたが、こういうのを見ると、そんな業の深さを感じさせます。

 エネルギー問題とは結局「誰が楽して誰が働くのか」という問題のような気もします。この辺、世界の中でもいろんな考え方があり、そっちに行くと話がまたややこしくなるのでヤメときますが、機械は奴隷かパートナーかという問題、働くのは楽しみか負担かという問題、楽に生きるというのは一体何なのか?という問題、考えだすとなかなか止まらない科学、哲学、倫理、政治、宗教、芸術にまたがるような話で、だからこそ今待ったなしになっているのかな、とも思います。

 という訳で長々と与太話を書き連ねましたが、ここまでお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

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