見出し画像

理想と現実、そして「当事者性」

【社会はまだ追いついていない】

日本の周産期医療の発展により、子どもたちの救われる命は増えた。それに伴い、医療的支援が必要な子どもたちも年々、増加している。

そのような背景もあり、2021年9月に「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が施行された。

これにより支援制度および体制が拡充した。とはまだ言い切れないと思う。あくまでも施行され、現在進行系である。


【氷山の一角】

さて、ある日のこと。
小学校へ就学を予定している医療的ケアが必要なお子さんが、その学校との進学準備で足踏みをしていると聞いた。
医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律が施行されても、実際の現場ではまだまだこのような理想と現実との乖離があるんだと痛感する。
ただし、この教育における課題に関しては、「インクルーシブ教育システム」という観点も必要だと私は思う。

視覚障害を持つ私も、当時にはまだインクルーシブ教育なんて言葉は広まっていなかったかもしれないが、障害を持たないクラスメートと一緒に学んでいた。これは本当に教員の先生方に感謝している。一方で「子どもの権利条約」の観点からも子どもにとって当たり前の権利でもある。

話が少し逸れたが、
医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律のように、法律があっても当事者の方々が生活している地域に人的、制度的、物理的な環境が整っていなければ絵に描いた餅のようになってしまう。
その結果、辛い思いを強いられるのはその子どもとご家族、つまり当事者なのである。
今回の出来事は、きっと氷山の一角に過ぎないのではないだとうか。


【支援者には何ができる】

では、我々、支援者および地域住民には何ができるのか?
恥ずかしい話、正直、今の私には最適解を持ち合わせてはいない。
ただ、今、「医療的ケア児」という言葉が少しずつ広まってきている。
それがどんな意味なのか?どんな困り事があるのか?何が課題なのか?など、関心を持つことから支援はスタートするのではないだろうか?

いつ、どこで、誰と、私たちはその当事者と出会うかは分からない。裏を返せば、私たち皆が医療的ケアを持つ子どもと関わる当事者になり得るということだと思う。

常々思っているが、自分事までとは言えないかもしれないが、他人事ではなく。自分事になり得る事として感じてみると、あなたが今いる地域や世界は少しでも優しくなれるのかもしれない。
言うのは易し、まずは自分自身が何か行動していかないとですね。


【自分の中にある当事者性に気づく】

何か障害などを抱えている方だけが当事者ではなく、その周囲にいる方も支援者でもあり、そのことに関する当事者でもある。だから、誰しもが当事者であり、当事者性を持ち合わせていると思う。
当事者性に気づき、持っていれば、今はまだ現実が理想に追いついていなくでも、地域や社会が一緒に近づいて行くきっかけのかもしれません。


~ よしだ ~
医療機関にて子どもたちのリハビリテーションに従事する作業療法士。
自身が先天性白内障の当事者でもあり、「当事者支援者」として活動中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?