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同じ旗のもとで、ちょっとお茶するくらいがいい 【前半】

『当事者セラピスト』

”わたころ”の活動の中でたびたび出てくる『当事者セラピスト』。
6月30日(金)に予定しているオンラインイベントのタイトル『当事者×セラピストの内的世界』にも使われている。これはもともと、作業療法士の押富俊恵とともに言い始めた言葉。
これを造語した当時を振り返ると…

「自身の当事者性(経験)を臨床で活かせている気がするけど、どう活かせているのかよくわからない」とか「当事者性(経験)をどう活かしていいのかわからない」とか「当事者性(経験)が臨床で足を引っ張ってくる時がある」とか言う医療福祉系専門職に多々出会っていた時期でもあった。

進行性疾患の作業療法士、脳性麻痺の理学療法士、失語症の言語聴覚士、神経難病の看護師、自己免疫疾患の社会福祉士、身体障害のある医師などなど…
心身の障害や社会的な障壁を感じる“当事者”でありつつ“医療福祉系専門職”でもある彼らが、口々に同じような事を言っていたのが印象的だった。

そして、「疾病・障害体験の当事者でありつつ、医療福祉系専門職でもある存在」を仮に「当事者セラピストって呼んでみよう」となった。

「当事者セラピスト」の提言は、2012年に日本福祉大学高浜専門学校第11回卒後研修会において山田・押富によってなされたものだったことが確認できた。彼らは当初から、「疾病・障害当事者で、医療福祉専門職」を「当事者セラピスト」と仮定し、疾病や障害の内容にこだわらず、医師に加えて国家資格の有無を問わずコメディカルたちを広く包括して「セラピスト」と表現していた。

・山田隆司(2018)『当事者セラピストが持つ「当事者体験」への認識とその活用からの社会的役割の構築についての考察』 日本福祉大学福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業論文

同じ旗のもとに

『当事者セラピスト』という言葉のもとに、思いがけずたくさんの人々が集うようになった。

「こういう言葉ができたことで、自分のように中途半端な存在に名前を付けてもらった気がする」とか「当事者とも支援者とも言い切れなかったので存在を肯定された」とか「こんなに多くの仲間がいるのだとわかって安心した」と感じる人もいた。

疾病や障害により何かしらの喪失感を味わったり、自分の価値や役割を見失って自己否定的だったり、当事者と支援者の間で深く苦悩したりする中で、「自分には何ができるのか?」とか「自分の体験には意味があるのでは?」という探索をする人が多いと感じている。

そしてこの『当事者セラピスト』という言葉のもとに集う人の多くは、当時も今も相変わらず自身のアイデンティティーに悩み迷っている人が多いと感じている。
『当事者セラピスト』という言葉はまるで「旗印」のようだと感じている。

かつては自分もそうだった。
幼少期に身体の障害を負い、同級生や世間から排除されたり障壁を感じたりしてきた。そしていつの頃からか「自身の当事者体験を活かせないだろうか」と意味や役割を付与してきた。
希少難病だとわかった青年期以降も、ライフステージや進行する病状に合わせて自身の当事者体験に意味や役割を付与できないかと行動し続けている。この“わたころ”活動もきっとその一つなのだろう。

押富俊恵が代表を務めていた”NPO法人ピーストレランス”が主催する『ごちゃまぜ運動会』にて。

最初は押富と2人、「自分たちみたいな存在」を言い表すために造り出した言葉だった。それが思いがけずたくさんの当事者セラピストに使用されるようになり、研究対象にしてくれる人まで出てきた。面白いことだ。

≪後半(7月コラム)へつづく≫



告知:『車椅子に乗った人工呼吸器のセラピスト ~押富俊恵の5177日~』

そういえば、そんな『当事者セラピスト押富俊恵』のことをまとめた書籍が出版されることになった。
彼女が亡くなってから数年経つが、中日新聞社の記者だった安藤明夫さんが膨大な時間をかけ、たくさんの関係者から詳細なインタビューを行い一冊にまとめてくださったのだ。生前の押富に会えなかった人もきっと、彼女がどんな人物だったのか想像できるに違いない。

そして、それに関連したシンポジウムも開催されることとなった。
“NPO地域共生を考える”による「医療・介護・市民全国ネットワーク 第2回全国の集い」の中で、先述の安藤さんを座長とした『押富俊恵さんが目指した地域共生』というテーマでのシンポジウム。
こちらも併せて関心を寄せてもらえると面白いと思う。

*詳細はこちら↓
地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク (2023chiikikyousei.net)


*ダーヤマ:4歳頃からシャルコー・マリー・トゥース病による四肢遠位や呼吸筋の進行性麻痺あり。2児の父。作業療法士(あんまり臨床に関われていない…)。梅雨は全身脱力して、息もタエダエ手足ダルダル。


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