2020年の音楽を振り返ってみる

令和2年。2020年。歴史に残るパンデミックの年である。2020東京オリンピックが一年先に伸びた。

これは、まだまだ終わりの見えていない、人類史上の中でも特筆すべき出来事でもある。

そんな2020年、本来アウトドア派の私が、ツイッターの自己紹介から登山や自転車といった趣味を消し去り、暗中模索の「新しい生活様式」の中に沈んでいった。

暗い淵の中で、私の静かなるもう一つの趣味が目覚めた。

それは、「音楽鑑賞」と「読書」である。

履歴書の趣味欄に、デフォルトとして埋め込まれていさそうな、「音楽鑑賞」と「読書」である。本来は、その他の変態的な趣味がメインだとしても、履歴書に書いてオープンにすることなどできない類の人間は、とりあえず「音楽鑑賞、読書」と書いてしまうのである。

ちなみに私は、ここまでの履歴書に「音楽鑑賞」あるいは「読書」と書いたことは一度もない。高校時代から、徹底的に「登山」と「サイクリング」の人だった。いや、それは今でも変わっていなくて、大晦日の昨日も、薄っすらと雪で凍りつく雪道を自転車で登りあげ、さすがに下りはヤバいなと思いつつ、クルマの入らない「私しか走らない」トレイルを、「コケたらまた肋骨骨折か」というスピードで、フルサスバイクのサスペンションを効かせ、魂を開放させてきた。

そんな私が、NHKEテレの年末クラシック番組にかじりつき、パンデミック禍の2020年12月23日にNHKホールに観客を入れてN響が演奏した「第9」で、静かに、ではなく、汗を飛び散らせながら渾身の指揮を見せたパブロ・エラス・カサドに魂をぶちのめさて、2020の幕が降りた。

2020年は、ベートーベン生誕250年の、メモリアルイヤーだった。NHKのクラシックは、「ベートーベン250」の特集番組を「メガ盛り」クラスで次々と送り出し、ベートーベンファンにとっては一生に一度のメモリアルイヤーになっただろうし、ここでベートーベンの音楽に目覚めたビギナーも、たくさん生まれたに違いない。

「目覚めたビギナー」。その一人が私だ。

そもそも、パット・メセニーの音楽でこの35年ほどを生きてきた私は、基本的にはジャズファンで、棚に並ぶCDのほとんどはジャズかワールド・ミュージックか若干ポップスで、ベートーベンのCDは一枚も持っていなかったのである。クラシックといえば、モーツァルトの明るく軽快な音楽が好きだし、バッハの宇宙をイメージさせる壮大さが好きだった。

ベートーベン、「なんとなく暗くて深刻」そして、自分の中では陳腐化していた「第9」(ほんとうに失礼ながら)。しょうがない。モーツァルト派だったのだから。ちなみに、14年前の2006年はモーツァルトの生誕250年のメモリアルイヤーだったが、そこで企画されたCDを買ったのは、2年前あたりで、まだまだどっぷりとパット・メセニーだった。

そういえば、パット・メセニーが「FROM THIS PLACE(フロム・ディス・プレイス)」というニューアルバムをリリースしたのが、2020年の2月21日だった。その11日前の2月10日。ピアニストのライル・メイズが亡くなった。

パット・メセニーが1977年に「パット・メセニー・グループ(PMG)」を作ることになった運命の人が、ピアニスト、キーボーディストのライル・メイズだった。この二人と、ベーシストのスティーブ・ロドビーが出会わなければ、私が夢中になったPMGの音楽は生まれなかったのだ。おそらく、これまでの人生の中で最も再生数の多いアルバムは、PMGの「スティル・ライフ」(1987)だろう。

「パット・メセニー・グループ」名義のアルバムは、15年前、2005年の「THE WAY UP」という、壮大な組曲のような楽曲が最後であり、ここで見るライル・メイズの姿を最後として、その後、彼がピアノを演奏する「グループ名義」のアルバムは一枚もリリースされることがなかった。グループ名義のアルバムが出ないのは、ライル・メイズとの間に、なんらかの問題が発生していたのかと、ずっと心配していたが。

ライル・メイズの亡き今、「パット・メセニー・グループ」という名前で新作が出ることは、もうないのだろう。

2月にリリースされた「FROM THIS PLACE」は、2005年の「THE WAY UP」以降のどのアルバムよりも、「パット・メセニー・グループ」の本流であるように、私は受け止めた。それは、クラシックオーケストラを参加させての、壮大な構成からも、それまでのトリオやカルテットとは「全くの別物」感がにじみ出ていたし、演奏の完成度が、もはやPMGの集大成といってもいいほどに完璧だった。ただ、ライル・メイズのピアノが耳についている人からすれば、「なにかが足りない」という想いは拭えないかもしれない。ましてや、リリースの10日ほど前に訃報が知らされたばかりでもあったし。

2020年の、自分にとっての音楽を振り返る時、やはりパットメセニーの新作のことは、絶対に外せないし、ライル・メイズが同じ時期に亡くなったということも、私にとっては2020年のR.I.P.で最も重要な人物、という出来事になる。

パンデミックでなければ、オリンピックの影響を受けない秋以降の時期に、パット・メセニーのジャパンツアーも企画されたであろう年だったが、残念ながら、「FROM THIS PLACE」の前の、SIDE EYEワールドツアーさえも中止になった。ちなみに、パット・メセニーが若手とトリオを組んだ「SIDE EYE」の方は、2019年のブルーノート東京での公演を、私は見た。いつまで見れるかわからないし、来日公演がわかれば、早期にチケットはゲットすることにしている。そうだ、2年前の正月のブルーノート東京は、「パット・メセニー祭り」とでもいいたいほどに、連夜のパット・メセニーだった。東京に住んでいないことを、これほど残念に思ったことは今までなかった。

2020年、私のリアルなコンサート鑑賞は、1月にすみだトリフォニーでの「ジャンルカ・カシオーリ・ベートーベンピアノ協奏曲第2番」に始まり、2月に「ベルリン・フィル・ピアノ四重奏団」を郡山で聞いたのが最後となった。早期からチケットをとっていた、9月の「川口成彦フォルテピアノリサイタル」は、中止にはならなかったが上京する勇気がなくて、払い戻しを選択した(観客を少なくするために払い戻し受付があった)。この他、オリンピックの影響で従来の9月頭から、5月下旬開催になった「東京JAZZ+」もチケットはとっていたが、払い戻しとなった。NHKホールに行ったことがなかったので、すごく楽しみにしていたが、5月のあの状況では、開催できる可能性は1%もなかったろう。同じく払い戻しでは、3月のすみだトリフォニーホール平和のコンサート、藤倉大(最も人気のある現代音楽作曲家)にマルタ・アルゲリッチという、これを聞いたら私の人生が変わるかもしれないと思えるほどの企画も、ほんとうに残念ながら流れていった。3月は、地元二本松市で「旅するベートーベン」という、わが市出身の古楽演奏家(チェリスト)の演奏も延期になった。

そして、4月7日(16日全国拡大)に始まる緊急事態宣言によるステイホームの中で、ミュージシャンによる様々な取り組みが始まるのだが、私としては、小曽根真さんの「Welcome to Our Living Room」という、53日間続いたライブストリーミングを、やはり特筆すべきイベントとしてあげたい。

5月31日。生配信を始めて53日目。最後を締めくくる舞台は、なんとBunkamuraオーチャードホールの大ホールだった。これには驚き、私は泣いた。いや、泣くだろうこれは、あの精神状況下での、このサプライズ。

あの状況下、音楽家もコンサートホールもライブハウスも大変なことになっている中で、自分にできる限りの手を尽くし、仲間を集め、無観客のオーチャードホールを貸し切り、そこを「My Living Loom」にしてしまう、小曽根真の情熱と、パートナーである神野三鈴の愛。思い出すだけでも、泣けてくる。映画や記録ドキュメントではなくて、WEBを通してとは言え、その同じ時間に起きていたことを同時に体験しているという記憶そのものが、私自身の「音楽熱」をも熱くする。

6月13日。ブルーノート東京で有料ライブ配信が始まり、最初は無観客のブルーノートジャズオーケストラだった。エリック・ミヤシロさんの緊張した挨拶と、今まで見たこともない距離(2m?)をおいた演奏者が客席いっぱいにまで広がった演奏。パンデミックの中で、また新しい歴史が始まった。そんな緊張に包まれた第1歩のステージだった。

ブルーノート東京は、6月20日の小曽根真のライブで、観客を入れて営業を再開した。この日と翌日のステージも、忘れられない。

それから先、実に多くの「日本人アーティスト」が、ブルーノート東京の舞台の上に立つことになる。本来ならば、8割は来日アーティストで埋まるはずの舞台が、ある意味で「日本のJAZZ」も堂々たるレベルに上がっていることを、全国あるいは全世界に知らしめる場となった。

その中でも、やはり上原ひろみのことは、特筆しておくべきだろう。

上原ひろみは、ニューヨークが拠点なので、正確には「来日アーティスト」というカテゴリーになるかもしれないが、日本人は渡航がOKといった条件もあるのか、他にも海外から日本に戻ってきて「今だけ」の演奏を届けるアーティストは多かった。その意味でも、極めて質の高い「日本人」ジャズミュージシャンの演奏を聞く機会に恵まれた。

上原ひろみは、8月下旬から9月中旬にかけて、「SAVE LIVE MUSIC」を掲げて、ソロで16日間32ステージを駆け抜けた。その様子は、ドキュメント番組としてもテレビ放送されたが、私は見逃した。というか、契約してないCSだったかで。

上原ひろみも、ニューヨークから無料のライブストリーミングを続けていて、1分の中で、他の場所にいるミュージシャンとセッションするという内容だったが、これも「魂のこもった」ピアノ演奏だった。「東京JAZZ+」が中止になり、替わりのプログラムとしてNHKで配信された番組の中での上原の演奏もすごかった。これに私は泣かされた。

そんな上原ひろみは、この年末年始にかけてのブルーノート東京で、今度は別のスタイル(カルテットなど)でのロングラン公演を開催中だ。彼女は「今ここでしか生まれない音楽」という挨拶で演奏を始めるが、2020年あるいは2021年という、パンデミックの状況の中でしか生み出せない音楽、演奏というものを、今この時に共有できることで、唯一無二、一期一会の「音楽」が響いてくる。

やばい。主題はベートーベンだったのだが、いろいろと派生して文章が伸びてしまった。

結論めいたことを書けば、今の私には、「ジャズとクラシックの境い目がない」ということである。

そもそも、パット・メセニーや小曽根真(1980年台、彼らはジャズ分類ではなくもっと「イージーリスニング」な印象だった)を知る前、大学時代に最も聞いていたのはバロック音楽だったし、ベルディの聖歌に度肝を射抜かれ、あるいはグレゴリオ聖歌を無心に聞く時間も多かったわけで、60歳を前にして、二十歳前後の頃とは全く別の感覚で、クラシックやバロックに再び夢中になり始めている、と言っても過言ではない。

2020年は、「新しい生活様式」が私の趣味を「音楽鑑賞」に変え、それどころか、性格そのものさえも変えてしまったと、そんな年だった。

と、これが、2021年から始めるnoteの第1本目である


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