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ワールド製作は山登り

はじめに


ワールド探索部アドベントカレンダー、15日目!
先週木曜日も記事を書かせていただいたwata23ですが、今日もまた記事を書かせていただきました。

狙ったわけではないのですが今確認したところ、去年も15日目にワールド探索部のアドベントカレンダーを書かせていただいていて、一年たったんだなという感慨があります。

去年は私がVRChatでワールド制作を始めるきっかけの記事を書かせていただきましたが、今年はワールド制作について最近思っていることについて、お話ししたいと思います。

私は普段ワールド制作ばっかりしている人間で、出没する集会もほとんどワールド製作者向けの集会ばかりです。そのため知り合いもほとんどがワールド製作者ばかりなのですが、みなさんとても良いものを作られていて、良い刺激を受けています。

私も今年は4つほどワールドを作成しましたが、その過程で『新しい視点』を得たので、そのことについて書こうと思います。

ワールド製作の新しい視点


普段ワールド巡りをしている方は、ワールドを作っていない方でも、
『(このワールド製作者さんは)こういうのを作るのが得意なんだろうな』とか
『こういうのを作るのが好きなんだろうな』
というのを作品(ワールド)から感じ取ることがあると思います。

そのような製作者個人の嗜好について、伺い知ることが出来るのもワールド探索の醍醐味の一つと言えましょう。

特にワールド製作者の方々と直接交流する事の多い私は、作りかけのワールドを見せていただいて、苦労した部分や頑張った部分、こだわった部分などの話を聞くことで、それらのワールドを非常に面白く“体験”させていただいています。

そうして、他の人のワールドを見せてもらったり、自分で作ったりしているうちに、ある一つの考えが纏まっていました。

それは
『ワールド制作は山登りに似ている。そして、登っている山が全然違う人がいる』
ことです。

ここで例えている"山"は、簡単に言うとカテゴリ(分類)のようなもので、作りたいものの方向性などによっては違う山、という感じです(あとはワールド製作自体の大変さなどのニュアンスも包括しています)

なぜ山登り?


私がこの考えに至った経緯には、今年作成した2つの作品があります。

まず一つ目は前作『The Sanctuary Forest』です。

タイトルにForestとある通り森のワールドなのですが、このワールドで目指したものが一つあります。

森は森でも、ファンタジーに出てくるような綺麗な幻想の森を作りたかったのです。
ただし、それは100%アニメや漫画のようなトゥーン調(セルルック)の表現ではなく、現実の良い部分を取り込んだバランスの良いものを目指しました。

私はその目指したいものを『セミリアル(セミ・リアル)』と呼んでいました。

ちなみにこれは造語であり、きちんと定義されている言葉ではありません(セミリアルで3DCGを検索すると現実ベースのモデルばかりが出てくるのですが、あくまでも私は言葉のままにセミ(半分)、あるいは多少現実に寄せているものをイメージしています)

この時点では特に私の『登りたい山』という認識はありませんでしたが、そういう方向性を一度目指したということで、このワールドはきっかけの一つです。

はっきりと私の『登りたい山』を認識したのは、一番新しく作ったワールド、最新作『Celestial tears』の制作途中です。

このワールドでは崖がありますが、この崖を作っている最中に『登りたい山』について考えるきっかけがありました。

ちょっと暗くて分かりずらいかもしれません

崖は自作しようと思っていたのですが、その際現実に即した情報量の多いリッチな表現で作ろうかなと当初は考えていました。

そのように考えた理由として、他のワールドクリエイターさんの作品に影響されたというのがあります。

ここ最近Publishされるワールドの傾向として、艶・テカリなどの光沢や傷・汚れといった現実的な情報量がしっかりとしたワールドが増えてきたように感じます。

ozenさんの作品を思い浮かべたので
Fog Forest

このようなワールドを見て、私は『ここまでしっかりやるの凄いな』と、それらに対して"良さ"を感じていました。

また、知り合いのクリエイターの何人かも、そのような現実感を追求したモデル・ワールドを作っていたので、私も挑戦してみたというわけです。

そして数日かけて、リアルな崖を作る仕組みは大体完成したのですが、ここで手が止まりました。

「ここまで情報量の多いものが私の作りたいワールドに必要なのか?」
という素朴な疑問が頭をよぎったのです。

結果的として、適度にローポリの崖っぽく見える崖を作りなおしました。

一つハイクオリティなリアルっぽいモデルを置くと、全てをリアルよりのプロップにしないといけないという労力に対して、やりたいという気概を抱けなかったのも当然ながらあります。

ですが、それ以上に完璧に現実を模倣した世界を作れたとして、私はそのワールドに対して十分な愛着を持てるだろうかと考えたとき……それは”否”であるとはっきり思えたからでした。

ここで初めて私が目指したい方向性というのが明確になりました。

『セミリアル』な表現で、ワールドを作成したい。
それが私の目指したい方向性だということが分かったのです。

この時、この方向性を山登りに例えるとちょうどいいなということを思ったのですが、そうして考えたとき、同じ山を登ってそうな人と明らかに違う山を登ってそうな人がいるなと思い、とても面白く感じました。

フレンド各位の(もしくは製作に携わっていた)ワールド写真を少し貼ってみたのですが、これだけで全然違って面白いです。

Flowery Sleep
Trees Of Diaspora - 播種の樹
Metamorphosis
The Bar "Once In A Blue Moon"

おあえつらむきに……と言ってしまうと失礼なのですが、ワールド探索部アドベントカレンダー13日目に書かれているwakaさんの記事はまさにその山の一つですね。

『現実をできる限り再現した建築物を作りたい』これも一つの山でしょう。

木洩れ日の家-Komorebi no ie-

また、私は同じ山を登っている人であっても、途中の山道や頂上が異なる場合があると思っています。

例えば同じ「現実のニュアンスが入った建築物を作りたい」という方針であっても、完全に模倣したい場合とそうじゃない場合は異なりますので。

個人的には同じ山を登っている人にはライバル感があって、違う山を登っている人は『面白いことしているな~』って目線で見れます。楽しいですね。

登りたい山をきちんと見据えること

これは一般的な感性に通じる話だと思うので、誰であってもその人が”良い”と思える山はあるでしょうし、他の人の登っている山が”良い”なと思うことはあるでしょう(私が現実寄りのモデル・ワールドを良いと思うように)

ただし、どうして良いのかをきちんと考えないと、自分が登りたいと思っている山道から逸れてしまうかもしれません。少なくともリアルな崖を作ろうとしていた自分はそうでした。

つい昨日、最近アップロードされたばかりの『Inokashira-Kōen Station(井の頭公園駅)』というワールドに行ってきたのですが、ここは狂気を感じるレベルで現実を再現していて、圧巻の一言でした。

Inokashira-Kōen Station(井の頭公園駅)

現実を再現するには、実物をきちんと知っている必要があるのも当然ながら、それをフィードバックするだけの技術力も必要になってきます。

ゆえに現実感のあるものに対して『ここまでやるの凄いな』という感想を抱くのですが、大事なことは『現実感がある』から良いのではなく、『それを作った人を感じられるから』良いのだということを正しく認識すべきだと思います。

つまり、かけた労力や時間、そして思いなどの『信念のような何か』が創作物を通して伝わってくるのが"良さ"なのでしょうね。

私は何が"良い"のかをしっかり考えていなかったので、『現実感を追求することで良いワールドになる』とブレてしまいそうになりました。

ですが、現実感があるかどうかは大事ではなく、自分の創作物を通じて『自分の表現したいもの』を”良い”と思ってもらえるように(もしくはきちんと伝えられるように)、作りこんでいくことが大事だなと今は思っています。

登りたい山の頂上をしっかりと見据えて、一歩一歩登っていきたいですね。

おわりに

私は創りたい人なので、どうしても創るほうに主眼を置いてしまうのですが、ワールド探索においても"良さ"を探すことは楽しい行為だなと思っています。

ワールド製作を全くしない人も、普段何気なく自分が訪れているワールドで"良さ"を探してみて、何が"良さ"に繋がっているのかを見つめなおすと、面白い発見があるかもしれません。

以上です、読了お疲れさまでした。

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