コップの水は私はこう感じる

こんばんは。
3月下旬に退院して間も無く1ヶ月が経ちます。
振り返りも込めて書き記そうと思います。記すなんてたいそうなことではないんですけれどね。
この文章が何か読み手の琴線に触れればいいななんて思いつつ書きます。

1月中旬に私は心療内科に入院しました。

理由を辿るとトラウマによるフラッシュバックとか急激な気温差による自律神経の悪化が原因のようだと思います。特に私は冬場になると結構重めの冬季鬱が出るので、その頃の冬の寒さを感じて少し嫌な予感はしていました。

入院中は本当に看護師の方の手厚い看護と主治医の投薬の処置で早い段階で正気に戻りました。つまり即ち、入院当初は混迷してアニメで闇堕ちする主人公みたいなあんな感じでした。

私のケースはごく稀なタイプで明らかな病患のある患者ではないです。
表面上は普通のように見えても心や頭の中、自分が認識する世の中の映り方がやけに歪んで現実で起こることと心で感じることのギャップがだいぶ苦しみました。
そして、メディカルチームの方も話すと変な感じはないけれど心の中にある葛藤をどうするかで非常に治療に苦心されていたようです。

初め一月は半径10メートルの世界でただひたすら外界と遮断された病棟で過ごしていました。
その間に脳波や心理検査などを行いましたがいずれも異常は見られませんでした。
病院食が本当にひどい味で売店で買うコカコーラとカップ焼きそばがその時の唯一の楽しみでした。
遮断された世界にいると色んな人の顔が浮かんでは思いそして消えを繰り返していました。
そして同時にもう自分は入院したからもう元の状態には戻れないんだろうなあという諦めもありました。

作業療法を行う機会が多かったのでスクラッチアートを選んで黙々と絵を削り続けていました。いろんなことが忘れられるから良かったと思います。

そして投薬の効果が如実に現れ始めて2月目あたりで自分の認知と世の中の現実が一致するようになりました。
そして3月末に退院。

これで元通りの日常に。

そう思っていました。
しかし、この病気の本当にきついのは今から約半年の期間だと医師から先日の診察で告げられました。
高ぶった神経で消耗したものが本来の身体のポテンシャルに戻るには半年はかかるとのことらしいです。
例え話でプロ野球選手が骨折や靭帯損傷をして治療したからすぐ試合に出られるわけじゃない。
そこからリハビリをしてブルペンで投げて長い歳月をかけてピッチに立つ、心療内科もそれなんですと言われました。

その時はそうなんだぐらいに思っていましたが、一月経ったあたりで確かに目に見えて感じる点は色々とありました。

体力の消耗が激しいことと集中力が続かないことが今の大きな問題点です。

すごいシンプルなことですがこれが劣化している中で生活すると本当に今の身体はめっちゃ疲れ切ったあとなんだなと思いました。
本当に日常の中で活動量が減りました。

それも合って実際今の生活はなかなか前のようにはいっていません。
ですが、その中で唯一幸いなのは気持ちの面や精神的には前とは比べ物にならないくらい前向きで落ち着いたことです。
薬の効果が大半を占めるのでしょうが、この現実を昔の自分だったら嘆いて「なんで自分ばっかり」なんて思っていたと思います。
ですが今はコップの水に例えるならば半分ある状態を見たときに、もう半分も失った、というよりまだ半分もあるからゆったりいこう。
という気持ちでいることです。
そりゃあできない事は多いですし現実なかなか進まないこと、思い通りにならない事実が9割です。
でも、その中でもまだ手の中には残っている自分の心地いいものや、感じられる感性、何より治療で戻ってきた中学校の頃のようなまったり感が今の自分の財産だくらいに思っています。

それに今まではちゃんと向き合って感じられなかった周りの人の助けや親切に変に勘繰らないで心の中で感謝できる感覚が戻りました(逆に入院前までは変に卑屈になっていたと思います)

目に見えるものは時間をかけてゆっくり取り戻していけばいいし、目に見えない大事な感覚は手放さないように今日この記事を書いている感覚を忘れないようにしたいです。

入院の出来事という重い切り口で書きましたが、私は前よりだいぶ元気です。テンションは明らかに低いですがフラットに戻っています。

本当に人生終わったなって時でもちゃんと良くしようと思う気持ちだけもっておくのは大事だと思いました。

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