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先生のあの一言が大きく人生を変えた。悲しきエピソード

小学生の頃、絵を描くのは好きだった

  小学生時代、皆さんは、野外で絵を描きませんでしたか?
 今を去ること63年前、小学5年生だった私は、富山県のある都市に隣接する小さな町の小学校に通っていました。

 現在の小学校の美術(小学校は図工というのかもしれません)の時間に、野外で絵を描くことがあるのかどうかわかりませんが、当時は野外で絵を描くことが年に何回かありました。私には大好きな時間でした。

 なぜかというと、野外で一人、無心に描くときの心地よかったからですが、絵を先生から何回もほめられたことも大きな理由です。どんな絵かほとんど記憶がないのですが、今でも、お城の大きな石垣を、「結構うまく描けたなー」と子供心に思ったことを覚えています。

 おそらく、今見たら恥ずかしくなるほど拙いものだったでしょう。しかし学校の賞をもらったこともあるので、子供レベルではそこそこの作品だったと思います。

ある美術全集との出会い

 どのような経緯だったか覚えていませんが、あるとき、一冊の美術全集に出会いました。私は、その中のある画家の絵に一瞬にして目を奪われました。
 画家の名は、ファン・ゴッホ。見たこともない激しい筆づかい。燃えるような色彩、盛り上がり、のたうち回る絵の具。それはひまわりだったのか、くねるような糸杉だったのか、はたまたうねる麦畑だったのか。それはそれは衝撃でした。

 これだ!と私は思いました。次の野外写生の時、私は思いっきりゴッホの筆づかいを真似て描き、洋々として先生に見せたのです。

予想外の一言

 それを見るなり、「何だ! これはぁ」と怒気を含んだ言葉が返ってきました。「こんな絵を描くんじゃない!」という一言で終わり。

 ほめられるとばかり思っていた私は茫然と立ち尽くします。そして、悲しみと悔しさが襲いました。

 そして決意しました。「金輪際絵を描くものか。筆を折ってやる!」と。
 以後、絵を描くことはありませんでした。

 注:小学生が「筆を折る」という表現をするはずがないし、また絵を描く場合に使えるかどうか分からないけれど、今の自分が、小学生の自分の気持ちを代弁するとこの表現しかありえません。スケッチ教室の体験会でこの話をすると、なんとも言えない複雑な笑いが起こります。

今だからわかる、先生の言葉

 かくして、先生の一言が私の人生に大きな影響を与えたのですが、今にして冷静に考えると、先生の気持ちが分かります。おそらく基本を大切にしろ。思い付きで癖のある筆づかいのまねをするな。ゴッホになるには100年早いというのでしょう。

 スケッチ講師になった今、先生の言葉の意味がよくわかります。

理由を言ってほしかった。説明なき一言の恐さ

 しかし振り返って思うのです。あの若さで筆を折ったため、大好きな線スケッチに出会うのが遅くなったのだと。「人生短いのに、何ということをしてくれたんだ、先生」と恨みたい気持ちは抑えきれません。

 もし、一言でもその理由を言ってくれていたなら・・・と今更恨んでも仕方がないのですが。

 でも、講師となった私は、決して理由を言わずに生徒さんの作品をけなすようなことをすまいと誓っています。

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