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10月30日 特別な扱いはしない(2019)

『特別な日とか特別な曜日は作らないし、特別な扱いはしない。そういう心意気で日々を過ごそう。日々の凹凸は小さいほうが暮らしやすい。たとえ良い日があったとしても、それが特別良すぎると、日常との落差に疲れてしまう。
ウメハラ氏の書いた本にも同じことが書いてあったけれど、とても納得感があります。』


2020/10/30
ウメハラ氏の本のどこを読んでおんなじと思ったのかなあ?
調べてみたけれど、見つけられなかったです。
かなり、自分に都合の良いように読み替えたような気がする…。
たぶん、以下の部分から、そう思ったのだと思います…。

 大きな変化、大きな成長を求めると、それを得られなかったとき、モチベーションが低下してしまう。だから1日1日、少しの変化で満足できる自分でありたい。継続することが大切だと感じる自分でありたい。
(中略)
 だから、適度な頑張りを続けて毎日を心地よく過ごすことが大事なのである。人生に区切りを求めるのではなく、継続する。

出典 「勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」」
   (梅原大吾著、小学館、2012年電子書籍版発行)

私のアタマのなかでは、ものすごく飛躍したみたいだねぇ…。

もう一度、自分の日記と、ウメハラ氏著からの引用部分を読み返してみて。
いまの私がおもうこと。

私は「振れ幅」をとても気にしていますね。

私はかなり気が短いほうだとおもいます。
(ぐうたらな、おっちょこちょいでもあります。)

すぐにカチンときますし、
(気は短いのですが、頭の回転は遅いので、
 行動や言葉に「すぐ」には出すことができないおかげで、
 他者と衝突するにはタイミングが合わず、結果的には回避成功…)

カチンときている自分に気がつくと、すぐにヒヤリとします。
(感情の「振れ幅」がけっこう大きいのだとおもいます)

この、感情の「振れ幅」が大きいってこと、
けっこう疲れるし、苦手なのです。

じつはそれよりも、もっと苦手なことがあって。

「特別」な楽しい出来事や、嬉しい出来事が苦手です。

「特別」なことなんて、そうそうないのですけれど。

ここでいう「特別」というのは、
私の「普段」に比べて、おおきく異なる状況のことです。

「普段」に比べて、おおきく異なる状況は、
たとえそれが、うれしいことでも、楽しいことでも、
ちょっと、どう取り扱っていいかわからなくなります。
(むしろ、かなしいことや、苦しいことへの対処のほうが慣れてるかも?)

で、ようやく感じがつかめて、わかってきたころには、
その「特別」は、もうおしまいだったりするんです。

元に戻るだけなのに、いつもの「普段」だって楽しいのに、
なんなの?このさみしい気持ち…ていうのが全然慣れません。

なるべく基本(「普段」)の部分は変えないで、
(変えていくというよりは、変わっていく、がいいです)

基本を土台とした遊びというか、
ちょっとはみ出してみたりすることは、
着地失敗して転んだり、捻挫したりしない程度の範囲でお願いします。
(ココロもカラダも回復に時間がかかるようになってきてますので)

で、すこしずつ「普段」の幅が広くなって、懐が深くなっていけたなら。

いまの私が「特別」だとおもっていることたちも、
いつかは私にとっての「普段」ごととして、
楽しめるようになれているといいなと、おもいます。

あれ?なるべくおだやかに過ごしたいって結論だとおもってたのに。

けっきょく私、けっこう欲深いみたいですね。