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11月4日 清祓い(2019)

『自動車の清祓いを初めてやりました(**(妻)さんの*****)。よく考えたら「お守り」は持っていたけれど、お祓いはしたことなかった。安定・安心の「**神社」にてお願いしました。大事に大事な時間をすごせますように。交通安全祈願!!!』

2020/11/04
自分の知っていることしか知らないものですね。
実家で過ごしていた頃は、お守りとかお祓いとか気にしていなかった。

妻の実家は、何代か自営業を続けていたこともあってか、そういうこと(神社とか縁起をかつぐこととか)を大事にしていました。

私の実家でも、実家の建て替えのお祓いとか、下の弟のお葬式とかお墓とか、私たちの自宅のご祈祷とか…おんなじ神社にお願いするようになって、自分の考え方や捉え方が、次第に変わってきたようにおもいます。

宗教のことは、よく分からないので、それは置いておいて。

私にとってのお祓いや御守りは、自分や大事な家族がすこやかに過ごせますように!という希望や願い、目にはみえない気持ちや思いをカタチにすることのひとつなんだろうな、とおもっています。

「いってらっしゃい」「気をつけて」「頑張って」
こういった気持ちだって、言葉や、カタチにしなくちゃ伝わらない。
(「以心伝心」でありたいけれど、すごく高難度だし、かなり限定的なものなのではないかなあ)

伝えるためのカタチは、声だったり、メモだったり、手紙だったり、写真とか、動画とか、メールとかLINEとか…方法はいくらでもあるのでしょうね。

そういうもののなかのひとつが、「お祓い」とか「御守り」だとおもっています。

ご利益を期待しているとか、そういうわけじゃなくて。
(あったら、なお良いんですけど)

神社にお願いして、初穂料を用意して、家族全員の予定を合わせて、時間をつくって、家族全員で、お祓いに行きました。

そりゃあ、これだけの手間をかけて出かけて、神主さんにご祈祷してもらったら。
すくなくとも自分たちは、自ら事故を起こしてしまうような、いいかげんな運転はできないな、と感じました。

「交通安全祈願!!」は願いと同時に、自分たちへの宣言でもあったのだとおもいます。

きょうも、家族全員無事に我が家に帰ってこられて、みんなで夕食をとることができました。

明日も家族全員、すこやかに過ごせますように。