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第5回 エドウィン・ポーターと映画の文法の萌芽

黎明期においては映画という新しいテクノロジーは観客を引きつける大きな魅力であり、動いているものを映像として見ることそれ自体が新しい経験でした。しかしながら、1896年に投影式の映画装置バイオグラフを開発したアメリカン・ミュートスコープ社を始めとする競合の会社が出現し、エディソン社はこれらの会社との競争に勝ち抜く必要に迫られます。第3回でお話しした法廷闘争もその対策の一つですが、映像コンテンツ自体の内容でも勝負を迫られるようになります。魅力的なコンテンツを作ることがひいては映画の文法の確立に繋がることになるのですが、その役割をエディソン社に置いてなったのはエドウィン・ポーターという技術者です。今回はポーターの映画を詳しく見て、映画における文法の萌芽について議論します。

エドウィン・ポーターと彼の初期作品

エドウィン・ポーター(1870年-1941年)はペンシルベニア州に生まれ、若い頃は電気技師としてキャリアを積みました。海軍で電気技師として兵役を経た後、映写技術を身に付けます。その後、1900年にエジソン社に入社し、同社のカメラとプロジェクタの改良に携わります。当時はまだ職業映画監督というものが成立していない時期なので、映写技師というのは映像を上映するだけでなく、映画関係の機材の開発から実際にカメラを使って映像を撮ることまで担当していました。エディソン社がヨーロッパから輸入していた映画を見て映画の主題や表現手法を学び取りながら、同社のための映像作品を作り出す中で、ポーターは映画の文法を確立していくことになるのです。

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エドウィン・スタントン・ポーター

 (Unknown author, Edwin S Porter, marked as public domain, more details on Wikimedia Commons)


ポーターの最初期の作品は1901年に発表されましたが、これらの作品は前回紹介したタブロー形式で撮られています。したがってまだ彼の独自性が現れているものではないのですが、額縁のある演劇を覗き込んでいるという感じではなく、スタジオからカメラを持ち出した臨場感に満ちたものになっています。いくつか見てみましょう。

『恐ろしきテディー、グリズリーの王(Terrible Teddy, the Grizzly King)』(1901年)は2つのショットから構成されています。タイトルのテディーは当時の副大統領であるセオドア・ローズベルトの愛称で、当然本人ではないのですが、映画の中で銃を持った男性がセオドア・ローズベルトを表していることは明白です。ローズベルト役に続いて、「彼の広報担当」、「彼のカメラマン」という札を掲げた二人の男性が現れて、ローズベルト役が小型のネコ科動物を撃ち落とす姿を撮影します。これは当時、米西戦争でラフ・ライダーズという義勇兵部隊を率いて活躍したセオドア・ローズベルトが山猫をハンティングしている姿が新聞記事になっていたものを風刺したものと言われています。続くショットではこの3人が雪道を歩いている姿を捉えているのですが、この二つのショットの関連は明確ではありません。映画の文法の成立という点では明確な新しさがあるわけではないのですが、映画の中に現実の社会と関わる意味内容が生まれていることがわかります。


次の映画は『ニューヨーク23番通りで何が起こったか(What happened on Twenty-third Street, New York City)』という同じく1901年の映画です。映像が始まってしばらくはニューヨークの街路の様子が延々と続き、これはニューヨークという都会の姿それ自体が主題歌と思われるのですが、最後の最後に画面の奥から1組の男女が歩いてきます。すると風が吹いて女性のスカートがまくれあがり、彼女はスカートを手で押さえて映像は終わります。前回話した通り、女性の足はこの時期の映画でよく取り上げられる主題ですが、ここでも女性の身体が映画のアトラクションとして利用されていることがわかります。一つのシーンを単一のショットだけで作り上げており、その点でやはり映画的物語の文法というものはまだ成立していませんが、このシーンは『7年目の浮気』でのマリリン・モンローのスカートが地下鉄の排気口から吹き上がる風でまくれあがるシーンへと繋がる集合的な記憶となっておりアメリカ映画史上重要な作品と考えられています。

これら1901年の2つの映画は前回までに紹介してきた映画と形式の点でさほど変わりません。ところがほんの2年後の1903年には、ポーターはより複雑な映画を作ることになるのです。以下、1903年に公開された『アンクル・トムの小屋』、『アメリカ消防夫の生活』、『大列車強盗』を見てみましょう。


『アンクル・トムの小屋』の長い物語

『アンクル・トムの小屋』はハリエット・ビーチャ・ストウの同名の小説の映画化作品です。19世紀の半ばに発表されたこの小説に触発されて、ブラック・フェイスという白人が顔を黒塗りにして黒人役を演ずる舞台作品がたくさん作られました。これらの舞台劇の中では、黒人の生活を戯画化したものも多く、ストウの小説の本来の意図とは異なって、単純に娯楽として消費されていました。このような娯楽としての『アンクル・トムの小屋』の舞台作品は「トム・ショウ」と呼ばれ、ポーターの映画はこらら「トム・ショウ」の形式を踏まえています。とりあえず以下の動画を見てみましょう。

一見してわかるこれまでの映画との最大の相違点はその長さです。上映時間はおよそ14分ほどで、ここで「およそ」と言っているのは、同じ映画でも上映回ごとに上映時間が違うからです。どういうことでしょうか?当時の映画フィルムは同期する音声トラックを有していませんでした。ということは、別にどのようなスピードでフィルムを再生しても全く問題はないわけで、実際当時の上映装置はクランクを手回ししていました。従って、ある作品の厳密な上映時間というのは決まっていないのです。実際、観客の反応をみながらウケの良いシーンは巻き戻して繰り返すというようなことも行われていたようです。ですので、当時エディソン社などが作っていた映画館向けの映画のカタログには、映画の長さを表記するために上映時間ではなくフィルム自体の物理的な長さを表記していました。

長さ以外にも様々な形式的な相違点と共通点が見えてきます。例えば、この映画は全てタブロー形式で撮られている点はやはりかなり「古い」感覚、演劇をのぞき見ている感覚、を与えます。一方で、単一のタブローで映画が完結するわけではなく、全部で14のシーンを組み合わせて一つの物語を作り出そうという取り組みは1901年ごろの映画にはみられない特徴です。とはいえ、ショット間は映像的な工夫によって接続されているわけではありません。ショットとショットの間に文字を挿入するインタータイトルという手法でストーリーの流れを観客に理解させる工夫があります。これは、映像的な文法がまだ生まれておらず音声もないという状況下で映画の意味内容を標準化するための苦肉の策と言えるでしょう。

一方で個々のシーンを見てみると、アトラクションの映画としての技術的な工夫も見られます。例えば、逃亡奴隷であるエリザが氷の浮かぶ川を渡るスペクタクル的なシーンを再現するに当たって、氷が浮かぶ川を横長の画布に描いて、その画布を横に動かすことで、川の流れを再現しています。また、別のシーンでは川に浮かぶ蒸気船を表現するためにミニチュアを作成したものを撮影しており、現在でいうところの特撮的な要素もあります。登場人物が死亡するシーン(下図)では、多重露光撮影をして天使と共に昇天する様を表現したりもしています。こう言った要素はアトラクションの映画の重要な要素であったトリック撮影の技術を利用したもので、アメリカ国内で積み重ねられた技術だけでなく、この映画の前年に公開されたジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』からも学んだものだと言われています。

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『アメリカ消防夫の生活』の繰り返す時間

ポーターの映画製作が演劇的な形式に止まっていたわけではありません。同じく1903年の『アメリカ消防夫の生活』を見て、このことを確認してみましょう。

この映画は『家事だ!(Fire!)』というイギリスの映画監督ジェームズ・ウィリアムソンによって1901年に製作された映画と主題や話の展開という点でとても酷似しています。 ポーターはエディソン社で輸入されたフィルムを見ていたので、この映画から学んで『アメリカ消防夫の生活』を撮ったのでしょう。

しかし、詳細に見ていくと、『アメリカ消防夫の生活』には映画の文法の発展という点で重要な要素が見られます。

この映画は以下の9つのショットから構成されています。

1. ある消防士が危険に巻き込まれようとする女性と子供
2. ニューヨークの消防の警報機のアップ
3. 消防署の中の隊員の仮眠室
4. 消化機材の入った部屋
5. 消化機材が入った部屋から馬車で消防隊員が出発する。
6. 火事の現場に向かう消防隊の馬車
7. 消防隊員が火事の現場に到着する。
8. 家事現場の屋内で隊員たちが女性と子供を救出し消化作業を行う。
9. 家事現場の屋外から梯子をかけて窓から女性と子供を救出する。

まず『アンクル・トムの小屋』や『火事だ!』と比較して『アメリカ消防夫の生活』の特徴的な点をあげると、2番目の消防の警報機のアップのショットにあるでしょう。警報機がそれ自体としてアトラクションであった可能性は少々議論が必要だと思うのですが、仮にさほどアトラクション性がなかったと言えるのならば、このショットは純粋に物語の展開を説明されるショットとして利用されています。『アンクル・トムの小屋』ではインタータイトルを使って文字情報でストーリーを説明していましたが、『アメリカ消防夫の生活』は映像の挿入によって説明をしている点で大きな違いがあります。このようなショットの使い方は、『アンクル・トムの小屋』や『家事だ!』には見られません。前回紹介した『明るい靴屋の店員』でも女性の足のアップが挿入されていましたが、女性の足の場合はアトラクションとしての側面が強かったと考えられます。

もう一つ重要な点は、8番と9番のシーンにあります。この映画のクライマックスでは消防夫たちが火事の現場に乗り込んで母親と子供を火事から救出するのですが、ポーターはこのシーンを火事が起きた部屋の室内と室外から二度繰り返して描写します。観客は消防夫が親子を救出する様子を二度繰り返し見ることになります。このような同じ場面の繰り返しというのは基本的にハリウッド映画の中では回避されるものなので、現代の観客にとっては不自然なものと映ります。しかし、ポーターは数分程度の短い映画から10分を超える長さの物語を伝える手法を様々な技術的に制限の中で新しく生み出そうとしていたのです。同じように、この同じシーンの重複も、現在の立場からは「未熟」な状態に見えるかもしれませんが、スタジオ撮影でのプロセニアム・アーチ式のタブロー表現から離脱するための格闘の証と言えるでしょう。(とはいえこの手法はメリエスからパクったものです。『月世界旅行』の中に冒険家たちのロケットが擬人化された月の目に衝突するシーンの後にもう一度ロケットが月面に衝突するシーンが繰り返されます。)


『大列車強盗』のダイナミズム

このような格闘の成果は、同1903年の年末に公開された『大列車強盗』で結実します。この映画は4人の強盗が列車に乗り込んで金品を奪取した後に逃亡するものの、通報を受けた保安官に追われて全員射殺されるという筋書きです。まずは実際に見てみましょう。

基本的にはワン・シーン・ワン・ショットで撮られており、クローズ・アップなどが映画の文法として実践されているわけではありません。しかし、スタジオ撮影だけの『アンクル・トムの小屋』と比べた場合、ダイナミズムという点で大きく異なることがわかるでしょう。『アンクル・トムの小屋』でも川の流れを画布を横に流すことで再現していたわけですが、野外撮影の利点を生かしパン撮影や列車の上にカメラを設置することで、カメラ自体が動くという大きな変化を取り入れています。

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運動のダイナミズムを強調するためか、逆に多重露光を利用した画面のフレームの中に複数のレイヤーを置くという要素は消えています。『アメリカ消防夫の生活』の冒頭(上図)では、ある消防夫を画面の左手において、火事に巻き込まれようとする女性と子供を多重露光撮影で画面の右側に捉えています。これら2つのシーンの時間的関係性は明瞭ではありません。2つのシーンは同時に起きている現象であると解釈することも、多少時間的ズレがあると考えることもできるのですが、いずれにしてもこれら2つのシーンが1つのタブローの中に押し込められているのが、『アメリカ消防夫の生活』の冒頭の特徴です。

一方、『大列車強盗』では多重露光撮影を使わずに、二つの場面が時間的に同時に起きていることを明示的に示す工夫がみられます。4人の強盗たちは列車に乗り込むと2人ずつ2組に分かれ、1組は貨車を遅い、もう1組は機関室に押し入ります。映画の2番目のシーンで4人が列車に乗り込む様子を映し、3番目と4番目のシーンでそれぞれの組みの行動を描写することで、この3番目と4番目のシーンが同時に起きていると解釈できるようになっています。この手法は後に、パラレル・エディティング、クロス・カッティング、インターカッティングなどと呼ばれる同時に二つの別の場所で起きていることを交互に映し出しその二つの出来事の同時性と臨場感を強調する手法として洗練されていくことになります。

いずれにしても、『アンクル・トムの小屋』、『アメリカ消防夫の生活』、『大列車強盗』の3作品をみてわかることは、映画という新しいメディアを使ってエドウィン・ポーターが時間と空間をどのように表現するか模索していたということです。それぞれの作品ごとに19世紀に作られた短編映画にはみられない複雑な物語を語るための工夫がみられます。


線的で連続的な時空間へ

ポーターが上記の3作品を発表した翌1904年にはチェイス・フィルムという映画の中で登場人物が追いかけっこをするジャンルが流行します。このチェイス・フィルムの中では1つの映画作品の中での時間の線的連続性が確立したように見えます。実際にポーターが撮影した『フランス貴族はいかにニューヨーク・ヘラルド誌の読者投稿欄を使って夫人を得たか(How a French Nobleman Got a Wife through the New York Herald Personal Column)』を見てみましょう。

ストーリーという点では、花嫁を募集したフランス人の男性のもとに多くの花嫁志願者が集まって、男が花嫁志願者たちに追いかけ回されるというだけの映画です。特筆すべきは、追われるフランス人男性と追いかける花嫁志願の女性たちの運動性が、この作品の1つの線的に連続的な時空間を作り上げていることです。この線的に連続的な時空間という点は、『アメリカ消防夫の生活』や『大列車強盗』にも見られますが、より明示的に作り上げられており、この点でアトラクションの映画から物語映画への離脱の過程を示していると言えるでしょう。

しかし、このアトラクションの映画から物語映画への変化がポーター一人の貢献によるわけではありません。『アメリカ消防夫の生活』がイギリスの『火事だ!』の模倣であることはすでに指摘しましたが、『フランス貴族はいかにニューヨーク・ヘラルド誌の読者投稿欄を使って夫人を得たか』も同年の数ヶ月先にアメリカン ・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社によって公開された『個人広告(Personal)』という映画の完全な模倣です。

もちろんポーターの貢献の大きさは否定できないのですが、エディソン社の映画作品はヨーロッパやアメリカの他の映画会社の作品を模倣しており、ポーターという個人が映画の物語の文法を一人で作り上げたというわけではないのです。

またポーターの映画の中でアトラクション的要素が完全に焼失したわけではありません。以下のgifは『大列車強盗』に付随していたショットなのですが、このショットは物語の中に組み込まれていたものではありません。映画の興行主たちはこのショットを自由に切りはりして映画を始める前や後にアイ・キャッチとして使うことができました。このようにポーターによってアメリカ映画の物語性は大きく向上するのですが、それでも今私たちが慣れ親しんだ形式になるまではさらに10年ほどの時間を必要とするのです。

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