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第4回 騒々しい観客と「アトラクションの映画」

さて、前回の最後に、今回は映画の中で物語を語る技法が発展して行く話をすると予告しました。早速昔の映画製作者たちがどのようにして、クローズ・アップやカット・バックといった映画の中で物語を表現する技法を洗練させて来たのかという話をしたいのはやまやまなのですが、その前に当時の観客が映画をどのように楽しんでいたのか少し考える必要があります。私は前回、映画の中で物語を語る技法は映画製作者たちが映画史の最初の20年くらいをかけて徐々に作り上げてたと言いました。先月みなさんがご覧になった通り、最初期の映画は今のような物語映画ではなく、単に日常生活を切り取ったものや、カメラの前でパフォーマーに数十秒間演技させるだけのものでした。キネトスコープで小銭を払ってちょっと見るくらいだったらいいかもしれませんが、ヴァイタグラフ以降投影式の映画が主流になり、観客は劇場に集まって映画を見るようになったときに、わざわざこのような数十秒の映像を見るために映画館に足を運ぶでしょうか?動く映像を見るという新しいテクノロジーを楽しむだけならキネトスコープで十分だったはずです。いったい当時の観客は、まだ物語を十分に語る能力を持たない映画を見に行って、何をどのように楽しんでいたのでしょうか?

ヴォードヴィル劇場での映画上映

初期の映画の尺は数十秒からせいぜい数分程度のものでした。このような短いコンテンツでは相当な数がないと観客を劇場に引きつけることができません。なので、実際には19世紀から20世紀への転換点ごろのアメリカでは、映画はヴォードヴィルという大衆演劇のプログラムの一部として上映されていました。ヴォードヴィルとは歌、踊り、手品、アクロバットなどを演芸場で見せるショウ・ビジネスの形態のことで、元々はフランス生まれの用語なのですが、南北戦争以降の19世紀後半のアメリカで都市生活者の娯楽として定着しました。下の写真は、前回話した当時のアメリカで活躍したボディー・ビルダーのサンドウを売りにしたヴォードヴィルの宣伝ポスターです。この一座はサンドウが出演していることやそもそもこれだけクオリティーの高いポスターを作れることから考えても高級志向の事例だと思いますが、当時のアメリカでは高級よりから地域密着型の大衆的なものまで多くのヴォードヴィル劇場が活況を呈していました。

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サンドウを売りにしたヴォードヴィル一座の宣伝ポスター

Strobridge Lithographing Co., Cincinnati & New York, The Sandow Trocadero Vaudevilles, performing arts poster, 1894 , marked as public domain, details on Wikimedia Commons

エディソンが彼のキネトグラフを用いブラック・マライアで撮影していたのはこのようなヴォードヴィリアン(ヴォードヴィルの演者)たちだったのです。このヴォードヴィリアンたちが順番に彼らの芸を披露する幕間などに、繋ぎとして数十秒から数分程度の映画が上映されていました。しかし、徐々にヴォードヴィリアンのライブ・パフォーマンスよりも映画の方が人気になり、映画が1910年代以降のヴォードヴィル衰退の一因となります。

このヴォードヴィル劇場での映画の楽しみ方は現在の映画の視聴の仕方とは大きく異なっていました。ちょっと考えてみれば想像がつくと思うのですが、下町の大衆演芸場の観客が黙ってヴォードヴィリアンたちの芸を見ていたかというとそんなはずがあるわけもないのです。観客からのヤジや掛け合いはヴォードヴィル演劇にとってごく普通のことでした。したがって、ヴォードヴィル劇場で上映される音声を伴わない映画を観客たちが黙って見ている訳はないのです。

当時のヴォードヴィル劇場の観客たちが、静かに大人しく座っている観客ではなかったことはヴォードヴィルで一般的だった「イラストレイティッド・ソング」という出し物の記録からもわかります。「イラストレイティッド・ソング」とはガラスのスライドに絵と歌詞が描かれたものです。ヴォードヴィル劇場の中でピアノの伴奏に合わせてこのスライドを次々に映し出し、観客たちは歌詞を見ながら伴奏に合わせてみんなで歌を歌っていたのです。元々はティン・パン・アレーと呼ばれたマンハッタンの一角で台頭していた音楽出版社たちが、自分たちの出版する楽譜を売るためのプロモーションとして1890年代に始めたものなのが定番の演目となりました。「応援上映」のような一部の例外をのぞいて今の映画館では観客は基本的に黙っているものです。しかし、生まれたばかりの頃の映画は、この「イラストレイティッド・ソング」のように観客の主体的な参加を伴う活動として楽しまれていたのです。

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スライドを組み合わせて作られた「ディゾルブ」効果の再現

Bamforth & Co., Little Old Log Cabin Illustrated Song , marked as public domain, details on Wikimedia Commons

このgif画像は「小道の小さく古い丸田小屋(The Little Old Log Cabin in the Lane)」という曲用に作られた「イラストレイティッド・ソング」のスライドから作られたものです。前回お話ししたようにマジック・ランタンはスライドを動かしたり、複数台を利用することで、擬似的に運動性や様々な視覚的効果を産み出していました。この曲の場合は、複数枚のスライドを組み合わせて映画でいうディゾルブの効果を作り出しており、このgifはその効果を再現したものです。

「アトラクションの映画」

このような物語以前の映画の受容(楽しまれ方)の形式に注目したのは、実は映画研究の歴史ではここ30年くらいの出来事なのです。トム・ガニングというシカゴ大学の映画研究者が1986年に「アトラクションの映画」という概念を発表し、そのことで今述べたような物語を前提としない映画との主体的で積極的な関わり方が研究の俎上に上るようになったのです。ガニング以前は、このようなヴォードヴィル劇場で上映されていた非物語映画は物語映画に進歩する以前の未熟な段階の映画だと考えられてきました。ところが、ガニングの「アトラクションの映画」という概念は、この時代の映画の楽しみを映画内部の物語ではなく、映画が与えるショックや驚きと言った直接的に観客を刺激し引きつける要素(アトラクション)にもとめたのです。どういうことかというと、私たちはこの時代の映画を見るとどうしても「あーまだ物語を伝える文法ができてないんだな。」とか「映画が進歩する以前の段階なんだな。」と考えてしまいがちです。しかしながら、このような見方は物語映画の発展というものを十分に経験した立場を前提にした後知恵的な見方に過ぎず、当時の観客が実際にどう映画を楽しんでいたのかに十分に注意を払っていません。ガニングはこの時代の映画が実際に上映されていたヴォードヴィル劇場での興行の様子などに注意を促し、上述した物語を中心としない映画の楽しまれ方を論じることで、物語を中心とした映画史の語られ方に異議を唱えたのです。

19世紀に撮られた映画はほぼ全て「アトラクションの映画」と言ってもいいと思いますが、いくつか具体例を見てみましょう。

1894年にエジソンの研究所で製作された「荒馬(Bucking Broncho)」はその名の通り荒馬を乗りこなす姿を映しただけのものです。しかし、マイブリッジの実験が馬がギャロップするときに果たして4本の足が同時に地面から離れている瞬間があるのかどうか確かめて欲しいという富豪の以来から始まったことからも分かる通り、馬という日常的な主題でも、それをカメラの目を通して観察することはそれだけで魅力的な主題だったと考えられます。


馬というのは初期の映画に頻出する主題なのですが、蒸気機関もまた重要な主題です。蒸気機関車のパワーや運動性が映画の格好の主題となったであろうことは想像に難くないですし、このテーマは追々議論することになるのですが、今回は「バッファロー市消防局出動(Buffalo Fire Department in Action)」(1897年)を取り上げてみましょう。この映像は消防馬車が出動するシーンを延々と撮ったもので、馬の動きを見るという点は前述の「荒馬」と同じです。しかし、この映像の中では馬が蒸気を吐き出す大きな釜のようなものを曳いていることがわかります。これは巨大な蒸気のエンジンで、これを火災の現場に持ち込んで、放水のためのポンプの動力として利用していたのです。つまりこの映像は馬と蒸気機関の二つの動力のパワーの迸りをアトラクションとして楽しめるものなのです。

馬つながりで19世紀の映像を紹介しましたが、実はこの「アトラクションの映画」という要素は必ずしも、物語が発展する前の映画にだけ特権的なものではありません。ガニングによれば、例えば、ミュージカル映画やホラー映画などの中には観客を物語に頼らず直接的に刺激するショッキングな要素も含まれており、その点で物語映画の中にも「アトラクションの映画」的な要素は含まれていると言えます。さらには、(この原稿が最初に書かれたときに話題になっていた)『ゼロ・グラビティ』に顕著なように物語が必ずしも映画の中心的な魅力ではないように見える映画というものは今の時代になって逆に復活してきているようにも思えます。『ゼロ・グラビティ』の特に冒頭のシーンに見られるようなCGで緻密に再現された宇宙空間の様子は3D IMAXで見たときにその「アトラクションの映画」としての魅力が最大化するものであり、『ゼロ・グラビティ』という映画の出現は、物語というものがあらゆるメディアで飽和して「じゃあ映画で次にどんな物語を描くんだ!?」という袋小路に追い込まれたときに、100年前に映画が潜在的に持っていた様々な可能性の一つに新しいテクノロジーを用いて立ち返ったひとつの事例であるのかもしれません。


タブロー(キャンバス)の中の物語

このように初期の映画はアトラクションを求めて、馬や蒸気機関の運動を撮影したり、風光明媚な土地にカメラを持っていって珍しい土地の光景を撮影したりといったことをしたわけですが、同時に舞台芸術からも多くを学びとりました。初期映画はヴォードヴィルという舞台芸術の劇場で上映されていましたが、映画と舞台芸術の深い関係は興行の場所を共有していただけではありません。アメリカの初期映画の形式的な特性は、当時の舞台芸術で一般的なプロセニアム・アーチ的な枠組みで現実世界を切り取ることにありました。プロセニアム・アーチとは小学校や中学校の体育館に備え付けられているような、舞台と観客席を額縁で区切って幕を張り、観客はその額縁を通して演劇を鑑賞するという形式を指します。わたしたちはあまりにこの形式になじみすぎていてあたかもそれが自然なことだと思ってしまうのですが、歴史的にみてプロセニアム・アーチを利用した舞台が支配的であったわけではありません。古代ギリシャの円形劇場、シェイクスピアの時代の舞台や能の舞台などのように複数の方向から鑑賞できる形式の方が歴史的には古いものです。しかし、映画という装置の技術的な構造と当時のアメリカにおける文化的な慣習との組み合わせのために、黎明期の映画はこのように額縁から覗き込む形式で取られたものが多かったのです。フランス語である一定の範囲内で描かれる板絵やキャンバスのことをタブローということから、このような映画はタブロー映画と呼ばれます。いくつか例を見てみましょう。

「床屋の士気をくじいたもの(What Demoralized the Barber Shop)」(1898年)というエディソン社の映像は、物語的要素を有した最初期のものの一つですが、あたかもプロセニアム・アーチを通して舞台を覗き込んでいるようなタブロー形式の描かれ方をしています。この映像は地下の床屋の中に顧客と従業員たちの姿を映すところから始まります。最初彼らは床屋の本来の業務に邁進するかと思われるのですが、画面上部に二人の女性が現れ、それによって男たちはパニックに陥ります。これだけだと全く訳がわからないのですが、前回紹介した「鍛冶の場面(Blacksmith Scene)」(1893年)と比較すると内容が掴めるでしょう。「鍛冶の場面」では三人の男達が槌で金属を鍛え、酒瓶を回し飲みする姿が描かれ、19世紀のアメリカにおける労働とホモソーシャルな絆と娯楽の三位一体な関係が一つの時間的な連続体の中で描写されていることを指摘しました。このことを前提にすると、床屋という男性の空間に女性が現れることで、その男性的空間が混乱させられるという話だと理解できます。はっきり言って「物語」と言ったとき私たちが期待するものとは大きく違うのですが、ちょっとしたお話しの芽生えのようなものは感じることができます。21世紀の東京に住んでいれば、会社勤めの人間は仕事中に職場で同僚とビールをまわし飲みすることは絶対にないでしょうし、男女混合の美容室というのも珍しくないでしょう。ところが、19世紀のある特定の階級/職業においては、労働と友情と娯楽が不可分の男だけの空間というのはけっして不自然なことではなく、だからこそ「額縁」を通して覗き込むというある種のリアリズムの形式で撮られることに違和感がなかったのです。


もう一つ「明るい靴屋の店員(The Gay Shoe Clerk)」(1903年)も見てみましょう。「床屋の士気をくじいたもの」が単一のショットのみでできていたのに対して、この「明るい靴屋の店員」は三つのショットから成り、編集が存在します。まず、最初のショットは引きで女性二人組が靴屋にきて男性の店員に接客される様子を映します。次のショットでは一人の女性の足にクローズ・アップし、その足に男性店員が靴を履かせます。最後のショットでは最初のショットと同じ構図に戻り、男性店員が靴を履かせた女性にキスをし、その様子をみたもう一人の女性が男性を引っ叩きます。なぜ靴を履かせたくらいで男女の間にロマンスが発生するのか我々にはなかなか理解が難しいので、この映像も現代的な感覚で理解するためには補助線が必要でしょう。この映像の最大の特徴は真ん中に挿入された女性の足のクローズ・アップです。前述の「床屋の士気をくじいたもの」のようなタブロー形式の映像が支配的だったときに、女性の足のショットが挿入されるという視覚的体験は新しいものでした。それに加えて、女性自身の手でスカートを引き上げるような動作を伴うというのも、当時のヴィクトリア文化の社会規範から考えて例外的なものでしたので、これらが合わさってポルノグラフィー的な効果となり、最後のショットで男女がキスをする、そしてそれがもう一人の女性によって懲罰される、ということになるのです。

後者の映像には編集の跡がみられるとはいえ、どちらの映像も基本的にはタブロー形式で撮影されています。この時点では舞台芸術の形式に則って物語を語り初めて入るものの、その物語はまだエピソード程度に止まるもので、むしろ女性の足というアトラクションの方が中心的な主題として昨日していると言っても良いでしょう。

アニメーションとトリック・フィルム

額縁舞台の模倣として出発した初期の映画ですが、徐々に額縁舞台では再現できないことに挑戦するようになって行きます。アニメーションとトリック・フィルムがその具体例としてあげられます。アニメーションはパラパラ漫画の原理で一枚ずつ微妙にずれる画像を撮影し、これをフィルムに現像して連続的に見せることで動いているようになるというものを挿します。トリック・フィルムとは、簡単に言うと映画のフィルムを撮影中にわざと止めたり多重露光させたりすることで、あるシーンの中で登場人物が急に消えたり現れたり登場人物が変身したりといった非現実的な効果を得た映画のことを指します。

「魔法をかけられた落書き(The Enchanted Drawing)」(1900年)が初期の映画におけるアニメーションの最も有名な事例です。この映像のなかで、自分で絵の中に描いたワインやシルク・ハットを画家は実物として取り出すことができます。そして取り出したワインやシルク・ハットをキャンバスに描かれた中年の男性に与えるとこの男性の表情は嬉しそうなものに代わり、逆に彼から葉巻を奪うと表情は渋いものに代わります。みなさんお気づきの通り、フィルムを切り貼りしてアニメ的な運動やトリックを成立させているのですが、あくまでカメラは一点に固定し、先述の舞台を眺めているような形式からの逸脱がみられないところが特筆すべき特徴です。もう一点面白い点としては、映画の中でペンで描かれている二次元の絵と三次元の空間が自然と同居していることが挙げられます。実は映画の理論の世界では、VFXなどの技術が発達してきてもはや実写映画とアニメの間の違いはないんじゃないかという議論が繰り広げられてきているのですが、この「魔法をかけられた落書き」の例は、そもそも映画史の最初のころには実写とアニメを区別する視点など存在しなかったのではないかということを証明する事例の一つであると言えるのです。

「パン屋での楽しみ(Fun in a Bakery Shop)」(1902年)も同様のトリック・フィルムでありアニメーションでもある最初期の事例です。こちらはクレイ・アニメーションの元祖ということも言えるかもしれません。

この分野で映画を発展させたのはフランス人のジョルジュ・メリエスと呼ばれる人です。メリエスは本人も奇術師であり劇場の興行主であったのですが、リュミエールのシネマトグラフに触発されて、すぐに映画製作に身を投じるようになります。リュミエールが世界各地に社員を派遣してドキュメンタリーを撮らせるなど学術的な関心からシネマトグラフを利用していたのに対して、メリエスはその興行主としてのバックグラウンドからか、すぐに映画をイリュージョンと娯楽のための装置として捉え、自分の作品を作るようになるのです。

彼の作品の中で最も有名なものは『月世界旅行』(1902年)ですが、この作品の中では月の世界の住人が煙となって消えたり、月の表面に浮かぶ顔にロケットが突っ込んだりといった特殊効果が多数使われています。これらのトリックは舞台では容易に再現しがたいものであり、このような特殊効果と「月への旅行」という物語を組み合わせた点で、メリエスの映画は舞台芸術の単なる模倣から一歩先に進んだものであると言うことができます。しかしながら、ご覧になれば分かるとおり、『月世界旅行』もタブロー形式で撮影されており、まだ映画独特の物語の語り方を獲得するには至っていません。

次回こそは本当に物語の発展について議論します。


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