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文字 がすき

ちょっとした余白で姓名みたいになるって面白いね。とか言いたいわけでは無いけど、ほったらかしだったnoteをなぜか書きたくなって書いてます。

文字、好きですか?僕は好きです。
人間の口から出た音に形を与え、視覚で伝わるようにするこの発明は、コミュニケーションに時間と距離の移動を可能にしてくれました。おかげで、今ここにいない人の言葉を受け取ることができる。

話す言葉よりも文字として伝える言葉の方が対等だなぁと僕は感じています。 耳に届く言葉には、語気、息遣い、スピード、音質などの要素が加わって発した側の意思が反映されやすく、さらに対面になれば表情や距離、動作まで入ってきます。話す言葉はオフェンスが有利だと。

とはいえ、文字は文字でも文章の中から一部だけを抽出されてしまった言葉は受け手にいいように犯されます。私たちは毎日そのような文字の虐待を目にします。テレビで、誌面で、スマホの中で。

話すでもなく、切り取られるでもなく綴られる言葉は、対等で平和です。
出し手は意図を汲み取ってもらおうと努力するし、受け手は意図を汲み取ろうと努力するステキな関係。もちろん、シーソーと同じでどちらかに傾く時もあるけど、それはごく自然な揺れの中での出来事。タイミングや、その時の感情や、文字並べの質だったり。

ジ あ 空 を 様 、

一つ一つの意味はとても限定されるけど、繋げて、並べて、置き換えて、リズムをつけていくと、誰かに分かってもらえるかもしれない表現ができあがる。

ちょうど、最近仕事仲間になったコイアイちゃんという一風変わった紳士の影響で、文章だけでなく文字の形、いわゆるタイポグラフィに興味がわいてきて。

いつ、どの国で生まれた形なのか。
これにはどのあたりの幅が美しいか。
ゴシック、太くして汚すとスポーツってなるとか。

これまで並んだ姿に目を奪われてたけど、立派に、一文字だけで誇らしくて、愛らしい。

小さな頃から、ひらがなに限定すれば《す》と《ぬ》が好き。《す》は書き手がデザインしていいように出来ている。初の一を上げるか、いつ回すか、回す途中で折れるか、最後の伸ばしは主張するか。実に奔放で、懐が広い。
《ぬ》は単体ではコメディアン。音にしたくなるし、愛らしく、不細工。なのに、文章になった途端に名役者っぷりを見せつける。《風立ちぬ》《ならぬものはならぬのです。》強くて、凛としてる。

ああ、
なんかなぜこんなことを書いているのかが、いまいちわからなくなってきました。やはり昨日下書きで寝て、次の日に書くと冷静な自分が邪魔をしますね。

締めるために、
はじめて文字を読むのが好きになった出会いはヘンテコですが梶井基次郎でした。教科書に檸檬が載っていたんです。そこから。

書かなければ消えて無くなりそうなことを、子どもである当時の僕と同じ背格好の妄想などを技巧に走らず書いていたあの文章が大好きでした。

ブルーハーツもそうですが、大人になって聴くとその静謐さに驚かされます。おそらく、梶井基次郎も甲本ヒロトもとても丁寧な人なんでしょう。

今、頭の画像に悩んでます。
さて、どっちにするか。

不細工な方にします。




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