見出し画像

#39 お里が知れる

上司の休日の朝8時に、電話をかけてきて第一声が「今いいですか?」と言う、“や〜つ”
入社8年目じゃないかな〜

これって多様性の現代ではアリなのだろうか?
せめて先ずは「おはようございます」じゃ無いんかい!なんて思った私は、心の小さい時代遅れの偏屈ジジイなのだろうか?

若い頃はよく常識がないとか、親の躾ができてないとか、お里が知れるとか、叱られたが、その時はそんなんどっちでも良いじゃんと、反抗してた様な気もするが。

例えば生まれつき左利きでも箸と鉛筆は、右手に矯正されたり、持ち方にもうるさく言われたりした。
しかし、今や箸をどの様に持とうともあまり気にする人が少なくなったような気もする。

また、もしも迂闊に「親の顔が見たい」とか「お里が知れる」などと口にすれば、「差別だ!」と言われれてしまう確率はかなり高いのではないかと心配になる。

それに自分だって畳の縁を踏んでいるだろうし。

こうやって段々物わかりの良い、許容量無限大のどんな酷いことされても、笑って頭を下げる老人になっていかねばならないのが、進化した現代という事なのだろうか?

ボケもとい認知症になれなかったら、どうしよう?

という心配が休日の午前中、私の心を支配した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?