人生の虚しさ/人生のメリーゴーランド について
空虚な生活を送っている。
自分の中で生きる理由も無ければ死ぬ理由もない。
死ぬと悲しむ人がいるし、育ててくれた人に申し訳が立たないから生きている。
客観的に見ても十分に豊かな生活を送れているし、人間関係にも現時点では困っていないし、自立していけるくらいの金銭的余裕はある。
趣味やこだわりもほどほどにあって、他の人と変わらない程度には楽しんでいると思う。
仕事に不満はあるが、それは誰にでもあることだし現状精神的にひどく苦しい訳でもない。
それでも生きる意味を感じられなければ心の虚しさは止められないのである。
この思想は経済的に豊かではなく必死で生きている人から見たら甘い考えであるし、社会を真っ当に生きている人にとっては幼く見えるのだと思う。
生きる意味を考えている時点で必死に生きていないのだろうし、多くの人からすればそんなことを深く考える機会などないのである。
虚しさの原因の一つは豊か過ぎることにあると思う。
客観的に見ることはできないが、私には闘争心というか、生き抜く力みたいなものがないし、お金がもっと欲しいけど特段ガムシャラに行動を起こすほどでもないので、多分人生を通しての欲求がほとんど叶ってしまっているのではないだろうか。
人の目標というのは意外と俗な理由から始まったりするような気がするけれども、私にはそういった欲求が他人より少ないと思う。
こんな風に字で起こしてみると、自身の探究心で生きている芸術家や職人の気質が強いのかなと思ったりするが、飽きっぽい性格だし一つのモノにのめり込む勇気もないし、社会の目を酷く気にしているからやっぱりそうでもないな、という結論に行き着くのである。
もちろん他にも虚しさを感じる理由はある訳だけれど、大きな要因は豊かすぎることかも、というのが今回の結論。
他の理由も気が向いたら書いてみようかな。
人生について書いていると久石譲さんの「人生のメリーゴーランド」という曲名を思い出す。
いつ見ても感心するタイトルで、これを"人生は"に変えてしまうと急に直接的で軽いタイトルになってしまう。"人生の"にすることで、人生(という名)のメリーゴーランドのように主体がメリーゴーランドになって、人生は大なり小なり転落と上昇を繰り返しながら廻り続けているものであるということを強く想起させてくれる。(芸術には富んでいないので解釈違いだったらすみません)
曲もメロディーが流れ始めから印象的で心を掴まれる。聴いていると心が落ち着くような、少し気分が晴れて高鳴るようなワルツが流れていて、途中の転落やそこからの回復を感じさせる流れも一人の人生を表しているようで定期的に聴きたくなる素晴らしい曲ですね。
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