ブレーキのきかない自転車でエンドオブザティーン

思い出の引き出しをひいても、既にそれを手にとって撫で回すことはできなくなっていて、きらきらと軽く光っているだけだ。私が過去に苦しかったことも、悲しかったことも、少し嬉しかったことも、現在の私を象っているのに、その頃を百パーセントで分かれない。感情が人任せになっていく感覚を背に、私は弱さを自覚する。

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ずっと昔、思いもよらずに傷つけてしまった人たちが、誰も私を殺しに来ないから、私は今生きている。銀色のナイフを手にして、きみのためにピザやケーキを切ったりできる。死んでいないから、髪の毛が伸びて、ご飯を食べて、誰かに好きだといえる、生きていられる。私がいなくなっても回り続けるとめどないサイクルや、永遠のような速度を保っている命を、鮮明に想像できる。それらがぜんぶ容易いほどに生きている。だけど思う。夜、眠る前に薬を飲むとき、まるで私は死んでいくみたいだと思う。生きるために飲む薬が、自分を殺している気がする。私が笑えるのも、私が泣かないのも、助けてくれと思わないのも、叫んだり怒鳴ったりしないのも全部全部薬のおかげで、偽りの私が生をする。本物の私はとてもひとりぼっちで、強がることもできない。恥ずかしくて首がすくまる。人間を人間たらしめる要素だけで立っていられないことの、意味を分かりたくない。

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不幸か、幸福か。0か100か。生きるか死ぬか。死ぬか殺すか。そういうことばかり考えてしまって、同じ地点を経由して返っていく。それっぽい理由をつけて、ぐるぐると回転する。幸せなとき、死にたくなるのは、0と100は似ているから。原点と頂点は似ているから。私の魂は悶々とする。こうでもない、ああでもないと、積み重なったエネルギーの配分が上手じゃない。不幸を感じられるのは幸せだからかな。思ってみたりもする。きみが隣で放つ、一緒にいてくれるせいで今死にたくないよって言葉で、心が半分潤ってしまう。何が何だかわからない。
寂しさを後回しにしてきたせいで、今更どんな風に寂しがっていいかわからない。とっくに私は寂しくなんかないと思っていた、それは通り越され、切り捨てられ、忘れられていたはずだった。心を塞いでくれるのは時間だと思っていた。大丈夫だね、って言って煙草を吸えば、憂鬱がくうに溶けて意識が澄んでいく。


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私は、きみが死ななくて、本当によかったと思う。人の生を自分勝手に喜ぶ。ワンルーム。ゴミ出し。畳の匂い。同じ部屋着を着せてくれたきみが。裏返しても同じ日々に、時間だけが足りないと焦る。私はまだあの定食屋さんに行ったことがなくて、きみはまだあの薬屋の開店までに起きたことがない。生き残る術を使い果たしていないから、私たちはまだここにいられる。この先に何が待っているんだろう、曖昧でゆらゆらと、煙みたいに馴染んでいく、その肌で東京が息をしている。
きみは、まるで恋をするみたいに、猫が飼いたいんだって嬉しそうにいう。黒と白。寂しがらないように二匹。私は、いいけどごはんもっと食べなよっていう。ふたりの未来は近視で、ぼやけたりくっきりしたり、瞬きが意味をなさない。今、触れられる範囲のことだけが本当なんだと信じていたくて、だから変に笑ってみせる。

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年を食えば、人はストーリーに適合して、醸成された感情が徐々に平凡になっていく。苦しみがならされていく。十四や十七の時とは違う。天国や地獄と名づけるには見慣れてしまった景色の中で、目を瞑ればひとりもふたりも同じ、足りていて、腕や心の傷は抉れていない。

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恨みや辛み憎しみを抱えて、人を信じたり、裏切られたりして、早いうちに人間の醜さを知ってしまったせいで、心の底から優しくなれない。人は、弱くて、情けなくて、ずるくて、賢い。言葉を交わす、きみはどんな風に傷ついてきたんだろうと考える。私は知らない、私はなにも知らないから、こんなふうに手を握って、背中をさすってあげられるのだろうか。きみの鎖骨が胸に当たって、ひとりぼっちを共有する。私の体温はぬるいですか。きみはまだ寂しいですか。私は孤独がすきで、けれど、それと同じくらいきみの隣にいるのがすきだ。
他人同士でいれば、きっともっと楽にいられて、キャーキャーと騒ぐ大学生も、横柄な態度のおっさんも、知りすぎていないからいいように、誰かさんにとって見れば私は、傍観者で、通行人で、クラスメイト。他人の中では何者でもあって何者でもない。同じ世界にいるのに、全てが他人事みたいに振る舞える。そっぽを向き合える。優しくしなくても、すぐに忘れてもらえる。心の浅いところで付き合えば、傷つかなくて済む。それは自分を守る術だ。でも私もきみも人間だから、とかそういうおかしな理由だけでいい、関係に名前など欲さずとも、誰もが一緒にいたい人と一緒にいられればいいと思う。
灰色の雲に覆われたこの街で、一番元気はペイペイ!の電子音声。私は黄色い線を踏みながら、地下鉄を待つ。私の大事なところを、私よりも大事にしてくれるきみが、景色未満の人だかりに消されていく。
私たちはどうしても生きている、生きていくしかない。ときには暗闇にさえ見放される。それでもそこにさすはずの明るい光を見る。足跡を残す。沈黙に守られている。


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深夜、裸眼を脅かすコンビニに、虫けらの如く入っていく。用もないのに。藁にも縋る甘味の物色。限定発売の商品を手にして店を出る。ちょっと高めの安心と、ちょっと安めの愛。そうやって頑張れば歩けるくらいの範囲でどんよりと、でも確実に生き延びる。別に何もできることはない。容易く人を傷つけることはできるがそれはしない。ナイフを、ライターを、カッターを振り回すこともない。言っちゃいけないことを言わない。独り占めしない。返事は「はい」で子どもじゃない。悲しいくらい。大人の真似事が真似事で
さえなくなること。

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〜歳になって、たとえ病気が治っても、生活が治ることはない。生活はしつこい。あまりにもしつこい。実にありきたりで地道な作業。やりたいことリストよりも、やることリスト。歯を磨いて、風呂に入って、飯を食って、寝る。きっと数年後も、同じような話を同じような方法で同じように思い出しては、同じ言葉をいう。なんべんも生まれ変わるみたいに、意識を繰り返す。人が人でいるために、自分が自分でいるために、明日も目覚める。歯車を回し続ける。休まずにペダルを漕ぎ続ける。進むことが止められない、というか止められない。ぼちぼちと、参ってしまったところでくたばろう。全部がどうでも良くなってきたけれど、なんとなく二十歳になってしまった。ばいばい私の十九歳、色々あった、でもきっとまた生き返るよ。

惰眠をむさぼったベッドの餌食は、未来で同じ夢を見る。また同じ夢。きみがいびきをかくのはお酒のせいだと思い出す。

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