見出し画像

【25】ないなった

こんにちは。
無職です。

これまで一応大学生と言っていましたが、今日実習講義が終わって大学生の講義は全て終わりました。後は手続きとかで数回大学行くだけ。一応諸事情あって半年間在籍しますが、就職活動もしていないので心はもう無職の気分です。

大学生という免罪符が欲しくて大学生になった人間なので大学生という肩書きを失った。別にこの肩書きに何の意味もないけど、世間様に対する分かりやすい口実程度にはなる。

僕は無職にジョブチェンジした。

最近は手塚治虫が医者と漫画家どちらの道もあるって状況で漫画家を選んだ話をよく思い出す。これの答えはもう出ていて、僕が手塚治虫なら僕も漫画家の道を選ぶと思う。

ただし、僕は漫画家じゃない。無職。

他者が自分に求める価値のある生き方というものが僕にとっては苦痛でしかない。そしてそういう生き方というのは僕からどんどん価値を奪っていく。価値というのは自分と他者の利が一致した時に生まれるものであって、独りよがりな生き方ばかりしてきた僕はもう商品として身を委ねる価値も無くなってしまった。なんなら本質的には誰にも価値はない。あと価値がないことは悪いことばかりじゃない。僕は人間的価値という概念から脱却した人間が自由な人間なんだと思う。

エリクソンが提唱した基本的信頼(basic trust)の話をすると、赤ちゃんの頃は親という他者、社会、世界に対して「自分は生きていて良いんだ」「全てが自分を肯定してくれる」という絶対的な信頼を持って生まれてくるのに、その絶対的な信頼は生きていくにつれ、どんな人間でも徐々に失われていく。

当たり前だけどその事実がとても悲しい。赤ちゃんの頃の世界に対する絶対的な信頼を僕は「純粋」と考えていて、この世にそんな純粋な人間がどれだけいるんだろう。多分僕はそういう精神的な潔癖症なんだと思う。

他者からの肯定感が自分が本当の自分であるという感覚、つまりアイデンティティを養うというのなら

僕はアイデンティティがないなった。


おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?