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Voyagerの話。

Voyagerについて

まずそもそも、Voyagerをご存知でしょうか。正直どれくらいの知名度があるものなのか、私の年代では分からないんだけれど。Voyager(ボイジャー)は、アメリカが1977年に打ち上げた2機の無人惑星探査機ですね。2機だから勿論1号と2号がある。どちらも既に太陽圏を脱出していて、もう地球からずっと遠くを孤独に進み続けています。Voyagerは、異星人や未来の人類に向けて地球の文化を伝えるべく画像や音楽を詰め込んだ『ゴールデンレコード』を持たされて、これひとつだけを仲間にしてVoyagerは進みます。

BUMP OF CHICKENの名曲「Voyager」

 ○月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
ワタシハ ドンナニ離レテモ イツモアナタノ 周回軌道上

これが名曲『Voyager』の冒頭です。地球から遠く離れた場所から、Voyagerは語りかけますが、その反応が返ってくることはありません。実際、Voyagerからの情報を入手は出来るものの、こちらからメッセージを送ることはありません。Voyagerの寂しさが伝わるような歌い出しから始まり、この曲の最後まで誰とも話すことも、心が通じ合うこともなく、ただ1人だけで歌い続けるわけです。

新海誠監督の『秒速5センチメートル』の中で主人公は次のように話します。

『それは本当に想像を絶するくらい孤独な旅であるはずだ。本当の暗闇の中をただひたむきに。ひとつの水素原子にでさえめったに出会うことなく、ただただ深淵にあるはずと信じる世界の秘密に近づきたい一心で。僕たちはそうやってどこまで行くのだろう。どこまで行けるのだろう』

これはVoyagerのことを指しての発言ではありませんが、宇宙のというものの圧倒的な孤独を感じずにはいられない、映画の中の主人公の立場と相まって、凄く絶妙な台詞だと私は思っています。まぁこの映画の内容はさておき。水素原子は宇宙で1番豊富な原子だと言われています。では、この『ひとつの水素原子にでさえめったに出会うことなく』とはどれくらいの頻度なんでしょうか。数学は苦手な私なので計算はここまで読んでいただいた方にお任せしたいのですが、調べたところによると、″毎秒10kmで進むと、150日に1度水素原子に出会う″との事です。Voyagerは秒速17kmなので、まぁ150日よりは少し短い期間にはなるでしょう。100日か、90日か、80日に1度くらいでしょうか。なんにせよ、たった一つの原子に会うだけでも、あれだけの速さで進んでも数十日かかるのです。

例えば、貴方が何も無い荒野を目隠しで1人歩き続け、100日に1度だけ誰かの手が少し肩に触れる。でもそれきりで、もう二度とその手の主とは出会えず、またすぐにひとり荒野を歩き出す。想像出来るでしょうか。出来るけど、あまり楽しいものではないかもしれない。

少し話がズレましたが。でも、前提知識がないとBUMP OF CHICKENの『Voyager』への感動が薄れてしまうかもしれません。歌詞自体をここに全て貼り出すことはしないので、気になった方は是非とも歌詞を調べて頂きたい。そこまで複雑で難しいものではなく、ただひたすらVoyagerの想いや日常を描いた歌詞になっています。でもだからこそ、私はこの歌を聞く度に宇宙に1人放り投げられた気分になるんですね。

BUMP OF CHICKENの名曲「flyby」

さて、『flyby』は『Voyager』と対になる曲です。Flybyはそもそも接近飛行のことを指します。『惑星などに着陸せずに接近して通り過ぎながら画像撮影などをする飛行のこと』とも説明されています。『flyby』でVoyagerは声を大にして叫びます。

応答願ウ
心ノ裏側ヲ グルリト回リ戻ッテキタ
flyby 距離ハソノママデモ 確カニスグ側ニ居タ

この曲を、自分勝手に感じたまま言わせて貰えるなら私は『諦めと希望』を感じたんですね。正直、歌詞を書いた人にしか分からない背景を考察することが私は得意ではなくて、自分の感じたままを自分に当てはめて理解してしまうのです。だから、今から言うことは解釈ではなく、私の感じたことです。前節の『Voyager』は、打ち上げられてからの淡々とした毎日の寂しさを歌っている。でも『flyby』は、やはり近付いているのです。それこそ肩を掠める手だけが唯一の存在だったのに、それの何十倍もの周期で、やっと光を見て、目の前に懐かしい友人が現れるような。でも相手はこちらに気が付く様子もなく、話せる訳でもない。それにVoyager自身も気が付くと、諦めて、自分に残ったゴールデンレコードだけを握りしめてまた広大な旅にひとり戻っていく。そういう希望と諦めとを繰り返して、長い旅を続ける。これ、何かに似てますね。人間も同じですよね。深いこと言ったみたいになって恥ずかしい気もしますけど。人間なんて皆一皮むけば皆恥ずかしい生き物ですから。悪しからず。


Voyagerの周期と、人の周期。

Voyagerは225万年周期で天の川銀河を周回するらしいです。孤独で長い長い長い旅を1人で、ある惑星に近付いては離れ、何かに出会っては何事もなかったようにその物の目の前を通り過ぎて、きっと最後は誰かに出会うのだ、自分の役割を果たして終えていけるんだと思いながら進み続けるのでしょう。Voyagerは無機質だからそんな事も思わないかな。でも、日本では作られてから100年たった物には神様が宿ると言われているし、そのうちそう思う日もくるんじゃないでしょうか。

じゃあ人の周期は。きっと人間はVoyagerよりもたくさんのものに触れて、経験していくから、自分の中にそれらが積み重なっていくような気がしているけど、実際これって蓄積していくものなのかな。これは説明が難しいんだけど、私は知識や経験は積み重なっても、その経験したこと自体は全てその場に置いていくものだと思うんだ。学生時代の友人やクラスメートやその関係性自体が、その時限りのものであって、ずっと保持することが出来ないように。ずっと付き合いを続けている友人がいたとしても、高校の頃の関係は高校の頃に置いてきて、今の関係性だけが手元にある。新しいものを手に入れて、過去の物は過去のあるべき場所に置いていく。でも周期ってのは、ぐるっと回って戻ってくるのだから、Voyagerが天の川銀河を一周して元の場所に戻ってくるように、(それから見るとかなり短い期間ではあるけれど)私達も人生のどこかで元の場所に意図せず戻ってくることがあるんですね。区切りという意味もあるんでしょけど、それ以上に『あ、一周してきたんだな』と確かに感じる時。色んな経験や知識を詰め込んで身も心も重くなっても、それでも自分自身が元の場所に戻ったような。これは絶対に伝わってないですね。本当に申し訳ない。もしかしたら、『あ〜』と思う人もいるかもしれないという、奇跡に賭けてみましょうか。実はそんなことが最近あったから、Voyagerについて書こうと思いました。親近感って言ったら変ですけど。

Voyagerのゴールデンレコードの中身は増えないけれど、人間はどんどん増やしていく。その重くなっていくゴールデンレコードだけを抱えながら、結局人もひとりで進むんだと思います。理解してもらいたい。大切な人と一緒に生きていきたい。そう思って、諦めと望みを繰り返して。近付いて離れて、応答願って、反応されずに。誰かとすれ違っては別れて、また出会って。終着を夢見てます。私も。Voyagerも。


最後に

何が言いたかったんだよ、つまり。その感想を持った人に私は『それな』と言いたい。その″つまり″をここまで読んで頂いた方には、お伝えしたい。それは、『私はVoyagerに強い親近感を持ちました』ってことです。長々書いている面倒くさくて変にロマンチックでポエムを彷彿とする文章は全て、『私はVoyagerに強い親近感を持ちました』これで片付きます。中学生で初めてBumpのVoyagerを聴いた時、心に芽生えた心地よいモヤモヤが判明した事の報告です。『そうか、つまりVoyagerは私だったのか』ということです。

あらあらかしこ       ひより…。







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