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ウィロックはどうなる? 失敗に終わった冬のレンタル5選

2月1日、冬の移籍市場が幕を閉じた。ニューカッスルは最終日まで複数人の選手と交渉を行っていたが、最終的にジョー・ウィロックをアーセナルから半年間のレンタルで獲得している。

短期間の在籍ながら輝きを見せた選手が多くいる裏で、日の目を浴びず忘れ去られてしまったプレーヤーがいたことも事実。そこで今回は、過去の冬のローン移籍の中で失敗に終わってしまった5人の選手を紹介したいと思う。

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アントニオ・バッレーカ

アントニオ・バッレーカの獲得はクラブ史上最も奇妙な移籍の1つとなった。

2019年の年明け、ニューカッスルはポール・ダメットのバックアップとして左SBの補強を目指していた。ラファ・ベニテスがトップターゲットに指名したのは当時ラツィオでプレーしていたジョルダン・ルカク。しかし、渡英した彼はメディカルチェックで問題が見つかり、移籍を断念する。

デッドラインデーまで残り数日という中、マグパイズはモナコでベンチを暖めていたバッレーカに目を付けると、両クラブは急ピッチで契約をまとめ、選手は1月31日にマグパイズの一員となった。

イングランド初挑戦となったイタリアンは、加入から僅か2日後のスパーズ戦で途中出場し、デビューを果たす。僅か4分間の出場ではあったが、当時チームはボトムハーフに沈んでおり、新戦力に対するサポーターの期待は大きかった。

ところがこの試合以降、途中出場はおろかベンチ入りさえも叶わない日々が続く。マッチデーに帯同すらしないバッレーカの存在についてサポーターは徐々に疑問を感じ、SNS上でも「彼はどこへ行った?」と安否を確認するほどであった。

次に彼が姿を表したのは、4月27日のブライトン戦。翌週のリヴァプール戦も合わせ連続で控えメンバーに入ったが、どちらの試合でも出場機会を得ることはなくシーズンは終了してしまい、結果的にスパーズ戦の4分間が彼にとって唯一のプレーとなってしまった。

不遇の時を過ごした彼がシーズン途中で投稿したインスタグラムがこちら。

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「@NUFC、僕もここにいるよ!忘れちゃったのかい?」

この投稿はファンの間で話題になり、後に文章が変更されることに。

プレーこそほとんど披露することはできなかったが、バッレーカの存在は別の意味で人々の記憶に刻まれている。

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オグチ・オニェウ

193cmの長身が売りのセンターバックは、2007年の冬にスタンダール・リエージュから加入した。

アメリカ代表DFはフルハム戦ですぐさま出場すると、2-1と勝利したリヴァプール戦では、ホームデビューも果たす。しかし、順調に行ったのはここまでだった。

彼とパートナーを務めたタイタス・ブランブルのコンビは不名誉なことにリーグでも随一の不安定な最終ラインとして記憶されることになる。

いくつかの致命的なミスで失点を重ねたチームは、オニェウの加入以降僅か3勝と低迷し、シーズン終了を待たずしてグレン・ローダー監督は解任の憂き目に。後任のサム・アラダイスは彼を評価せず、レンタルが完全移籍へ移行されることはなかった。

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ルーク・デ・ヨング

2014年1月、得点力増強を狙っていたアラン・パーデューはオランダ代表でも実績があるデ・ヨングに目を付け、ボルシアMGから半年のローンでチームに加えた。

しかし、パーデューはもう1人のローニーであるロイク・レミを1トップで起用し、デ・ヨングは主にストライカーではなくトップ下など中盤の一角で出場することが多かった。

不慣れなポジションで起用され続けたデ・ヨングは、低調なパフォーマンスに終始する。14試合でノーゴールという不名誉な結果に終わり、チームもその間3勝11敗と絶不調。サポーターからも成績の上がらないチームの中で”戦犯”のように扱われ、シーズン終了とともにドイツへ帰ることになった。

当時のマグパイズは司令塔のヨハン・カバイェを失った直後であり、不安定なチーム状況の犠牲となってしまったと言えるだろう。

ちなみに、翌季に加入したPSVではエースとしてチームの優勝に貢献。昨年はセヴィージャで、マンチェスター・ユナイテッドからゴールを奪うなど、ヨーロッパリーグ制覇メンバーの一員となった。

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ニューカッスルではなんの爪痕も残せなかったデ・ヨングの活躍は、ジョーディの間で度々話題となっている。

ちなみに、ルークの兄であるシームも後にマグパイズでプレーしたのだが......彼もまた度重なる負傷に悩まされ、インパクトを残すことはできなかった。数多くの”デ・ヨング”が活躍するフットボール界だが、ニューカッスル・ファンの多くはその名前に良い思い出はないだろう。

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イスラム・スリマニ

ドワイト・ゲイル、ホセルらストライカー陣の決定力不足に悩んでいたニューカッスルは2018年1月、レスターでポジション争いに敗れたスリマニをローンし引き入れた。

しかし、当時この移籍には多くのサポーターが疑問を抱いていた。というのも、1月の時点でスリマニはももに負傷を抱えていたのだ。

結果アルジェリア代表FWがデビューするまでに、チームは3月後半まで待たねばならなかった。ハダーズフィールド戦で途中出場したあと、レンタル元であるレスターとの試合は契約上プレーできず、スリマニがまともに戦力としたカウントされたのは4月に入ってからだったのだ。

アーセナル戦でアヨセ・ペレスのゴールをアシストし、チームになじみ始めた矢先、スリマニはプレーに関係のない場所でWBAのクレイグ・ドーソンに蹴りを入れた問題で出場で停止処分を受けてしまう。サスペンションにより、シーズン残りの試合全てに出場できなくなった同選手はトータルわずか4試合の出場でセント・ジェームズパークから姿を消すことになった。

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スティーヴン・アイルランド

マンチェスター・シティで印象深い活躍を見せたアイルランドが、マグパイズのシャツに袖を通したことを覚えている人は少ないだろう。

試合出場が少なくフィットネスが心配されていたアイルランドだが、前評判通り膝の負傷でトレーニングにも参加できない状態で2月を終えた。

3月に入り遂にチームに合流したものの、最初の練習で今度はももを負傷。おまけに離脱中にクラブで飲み歩いていたことが報道され、彼の立場は一層危うくなってしまった。

4月に2試合の途中出場を経て、再び足首の怪我を負い戦列を離れたアイルランドが再びグラウンドに戻ってくることはなかった。こうしてクラブ史上最大の失敗とも言われるレンタル期間は終わりを迎えたのだ。

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