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「カタールでも、あのゴールは有名なんだ!」 ディアメがニューカッスル時代を回顧(インタビュー全訳)

2019年2月、フェデリコ・フェルナンデスの誕生日を祝うべく、彼の自宅に多くの友人が集まっていた。集合写真にはマーティン・ドゥーブラフカや加入したばかりのミゲル・アルミロン、当時のエースであるサロモン・ロンドンなどチームメイトの姿も多く見られる。

彼らにとって、ピッチ外でこのように時間を共有したのは、おそらくこれが最後であっただろう。ここに写っている多くの選手はシーズン後の去就が決まっておらず、現にこの夏ロンドンは中国への移籍を決意し、ホセルはスペインへ帰国、アヨセ・ペレスはレスターへと活躍の場を移した。そしてチャンピオンシップ優勝に貢献し、昇格後はチームに欠かせないピースとなったミッドフィールダー、モハメド・ディアメもチームからの1年契約延長オファーを断り、中東カタール、アル・アハリへと旅だったのだ。

様々な言語圏の選手が混在するニューカッスル において、英語、フランス語、スペイン語を操るこのセネガル人はロッカールームの人気者であった。そして彼自身、セント・ジェームズ・パークでの3年を忘れることはないと公言している。

「スパニッシュ・スピーカーの関係はとても密接なんだ。もちろん仲良くなるのに苦労はするけれど、僕はスペイン人ではないにも関わらず、兄弟のように愛してくれたのさ」

「みんなと本当にいい関係を築けていたね。サロモン・ロンドンやホセル、アヨセ、今でも全員と連絡を取り続けているよ」

「僕をブラザーのように扱ってくれる人がとても多かった。もしかしたら、チーム内で年上だった自分をリスペクトしてくれていたのかもね」

「素晴らしい時間を過ごしていたし、今でも仲が良いんだ。恋しく思うのは彼らのことだけだよ。プレミアリーグやフットボール自体は素晴らしいものだけど、一番大切なのは仲間なんだ」

ニューカッスルとの契約が満了を迎える中で、ディアメのもとにはイングランド、スペイン、ドイツのクラブからのオファーが届いていた。しかし、彼の心にはキャリアの後半では中東でプレーしたいという意思があり、最終的にカタール・リーグに挑戦することになる。

ニューカッスルからは1年の契約延長の申し出があったものの、ベテランの域に差し掛かった彼にとって、怪我をすれば自分の将来が不透明になる状況は受け入れ難かった。

「イングランドではちょうど10年くらいプレーしたいと思っていたから、満足しているよ。4、5年前には既にカタールのような国にいつか行きたいと思っていたんだ」

「ハル・シティで昇格した後、チャンピオンシップにいたニューカッスルへ移籍した時にも、既にそのことは頭にあった。そういった国へ行く前にニューカッスルのような国外でも人気のあるクラブでプレーしていることは、有利に働くと思ったんだ」

「その後のことまで、僕の決断の一部だった。ニューカッスルでは素晴らしい時を過ごすことができたけれど、退団するにはちょうど良いタイミングだったと感じているよ」

彼がタインサイドを後にした翌月、ラファ・ベニテスの後任として招聘されたスティーブ・ブルースは、自分ならディアメを引き止めただろうとコメントしている。2人は以前にハルで共闘しており、2016年のプレミア昇格時にプレーオフで決勝ゴールを決めたのも他ならぬディアメだった。

そしてブルースが幼少期からの心のクラブであるマグパイズで指揮をとることになった時、誰よりも喜んだのが彼であった。

「正直、スティーブともう一度仕事ができたら嬉しいよ。僕らはいい関係で、監督としてとても良くしてくれたんだ。他の選手に聞いてもそう答えるだろう。あの人は寛大な心の持ち主で、自分の息子に接するかのように面倒を見てくれるのさ」

「もしあれが就任するのがもう少し早かったら、違う決断をしていたかもしれない。ハルで一緒に過ごした時間は素晴らしいものだったから、もう一度彼のためにプレーすることも選択肢に入っただろう。でも、自分自身の決断に悔いはないよ」

ディアメの決断には、当時のクラブ環境も影響していただろう。ベニテス政権の先行きは不透明であった他、アブダビのビン・ザイード・グループによる買収交渉も進んでおり、チームが安定した状況だったとは言えない。

一方でマグパイズは以前からテイクオーバーの噂が絶えないクラブであり、2017年にもアマンダ・ステイヴリーとルーベン・ブラザーズから買取オファーが届いていたのも事実。在籍中に2度そういった時期を経験した彼は当時の心境を次のように語る。

「ファンの方が大変だよ。選手としては、プレーに集中するだけさ。もしかしたら中には将来に不安を感じる人もいるかもしれないけれど、契約が残っていて自分がプレーできているならば、あまり関係のない話だ」

「彼らが今シーズンのターゲットを達成することを願っているのはもちろん、できればクラブ環境が前進することを切に願っている。(買収が)起きるのか起きないのか、どちらにせよファンは今の状態に退屈してきているからね」

ディアメはニューカッスルが降格した2016年の夏に、ラファ・ベニテスの誘いを受けてノースイースト行きを決心した。戦術家である指揮官の“クレイジーさ”に気づくのに、時間はかからなかった。

しかしそんなスペイン人監督の元で、最初は実力を発揮できない時間が続いた。彼に言わせれば“眠っていた”というその期間、悪い内容の試合が夢に出てくることさえあったという。

苦しい時期を過ごしていたセネガル人MFはチーム外で個人トレーナーを雇い、食生活の見直しに取り組んだ。徐々にパフォーマンスを取り戻した同選手はピッチ上に居場所を見つけ、チャンピオンシップ制覇と昇格に貢献することになる。そして、優勝争いのライバルだったブライトンとの一戦では、今でも語り継がれる“あの”ゴールを叩き込むことになる。

「カタールでも、あのゴールは有名なんだ!ラッキーだったのは事実だけれど、最終的にリーグ首位を争ったブライトンを相手に重要な得点だったね。いつまでも Youtubeに残るゴールだろうし、10年くらい経ってもまだ見ているかもね」

主にナンバーテンの役割を与えられていたディアメだが、プレミア昇格後はもう一つ下のポジションでよりディフェンシブなプレーに徹することになる。彼は中盤のパートナーとして良い関係を築いたジョンジョ・シェルヴィーを、これまでのチームメイトで“最高の選手の1人”と称す。2人の活躍もあり、マグパイズは昇格1年目ながらシーズンを10位で終えた。

在籍最後の1年となった18-19シーズン、ディアメはファン投票により1月の月間最優秀選手に選ばれた。彼は今でもそのトロフィーを大切にしている。

2016年、ニューカッスルへの移籍を考えていた同選手はクレールフォンテーヌ(フランスのサッカー選手育成機関)時代からの友人であり、セント・ジェームズ・パークでプレーしたハテム・ベン=アルファから熱狂的なサポーターについて聞かされていた。

「ハテムはニューカッスルでとてもハッピーだったんだ。アラン・パーデューといくつか問題は抱えていたけれど、彼はハッピーだったし、ニューカッスルのファンを愛していて、いつもニューカッスルのことばかり話していたよ」

ディアメは今でもマグパイズの試合結果をチェックしており、彼がかつてそうしたように、また選手がファンと触れ合うマッチデイが戻ってくることを熱望している。

プレーした数えきれない試合の中で、彼が決して忘れないのは加入して間もなく行われたカラバオ・カップのプレストン・ノース・エンド戦、約5万人が詰めかけたセント・ジェームズパークだという。

「思ったよ、クレイジーだってね」

「ビッグなクラブだとわかっていたけれど、それを見て口にしたんだ。“ニューカッスルはとんでもない”と」

「この大家族の一員になれたことを誇りに思うし、いつか自分の子供に語るだろう」

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