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続 アレック・ソス Gathered Leaves レビュー:still on the shimmering surface

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アレック・ソス Gathered Leaves レビュー:メジャーリーグベースボールとソス

A Pound of Pictures

計画の中断・方向修正によって生まれた怪作、A Pound of Picturesの第一印象はそんなものだった。葉山で開催されたGathered Leavesの会場でもすこし浮いていたし、なによりソスが撮ったわけではないらしい小さな写真の存在が混乱を呼んだ。ソスがraw photographs, vernacular pictures, found photographs, anonymous picturesなどさまざまな名前で呼ぶそれらの写真は、セレクトによってある程度ソスの手による他の写真と関連するように方向づけられて見える(花、大小さまざまな冒険的行動、そして写真の写真など)が、その効能は計りかねた。この作品について深く触れた展評は見当たらず、少なくない人が扱いあぐねているようだった。私も同じ感覚だったけれど、取材の一環としてeBayで買った他人の写真を見たことで端緒が開けた。

その詳しい話は次号に残しておくとして(Vol.4-5は連続号になる予定だ)届いた写真プリントを眺めてみると、なにか被写体も撮影者も写真をぞんざいに扱っていないように感じられるのだった。写真が写る!ということに対するストレートな喜び。この光景を永遠近くまで残してやるのだという気持ちがかすかに漂っている。この視点からインタビューなどを見ると、ソスは写真の原初の喜びについて繰り返し触れていることに気がつく。うまくいかない制作・COVID-19によるパンデミックなど、厳しい状況に置かれたソスにとって、そうした写真は撮影のフレッシュな喜びを再確認させてくれるものだったのだろう。(ただ、それをそのまま見せてしまうことの是非は正直わからない。いい補助線として機能しているような気もする。)アルバムから引き剥がされ、元々持っていた意味をはぎ取られた匿名の写真。本来置かれた文脈においての意味を失ってある意味で純化されたそれを見る時、方向性を失ってなお留まる思いと写し残る喜びだけはいっそう際立ち、私たちを惹きつける。もっとも、今ほど写真が簡単に生み出される時代はなくて、結果そのコントラストに目がいくというだけのことなのかもしれない。


写真について Vol.4 に掲載予定

この文章は1月中旬にセブンイレブン ネットプリントで配布予定の「写真について Vol.4」の一部です。内容の紹介はこちら
配布期間:2023年1月中旬予定

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