怪物①
映画「怪物」観ました。5回も。
これまでは同一映画の劇場視聴最高記録は2回だったのでなんと倍以上。あれまあ。
そんなこんなでいっぱい観て書きたいことだらけですので何回かに分けて書いていくよ。
がっつりネタバレになるのでまだ観てない人は興味なくてもとにかく観てから読んでね。和助との約束だぞ!
ここから本題。
初見時、怪物を観ていて思ったのはとにかく
「なんかチクチク刺してくるじゃんか。」
ということ。ストーリー的な話は後回しになるけれど、今回はこの話をさせてほしい。
何が刺さったかというと、
「家庭っていう一番の宝物」「それでも男かぁ〜」「男らしく握手で仲直りだ」などのセリフ。
僕はこの映画がセクシャリティに関する描写を含むとは一切思っていなかったので、単純に「そういうことを言うキャラクター」だと思いながら観ていた。
刺さると書いたが傷ついたわけではないのでお気になさらず。僕はゲイなので、「昔はそういうの気になってたよなぁ〜」という感じ。「男らしさ」とか「家庭を持つのが普通の幸せの形」とか、世界の狭い学生の間はやたら気になっていたものだ。
とにかく、なんかそういう言い回し気になるな〜という感じで観ていた。
そんな中迎えた湊視点の部分。
1回目は全く意識していなかったので気付くのが遅れ、宇宙基地で依里が転校を告げるシーンでようやくわかった。全てが繋がった。
寂しいと泣きつく湊、見つめ合うふたり、普段はしない呼び捨てで湊の肩を抱く依里。突然突き放す湊、湊の下半身に目をやる2人。「大丈夫なんだよ、僕もたまにそうなる」と優しくすり寄る依里。
このシーンが狂おしいほど好きだ。
このシーンで「豚の脳」とは同性愛者である息子を差別する言葉だということ、そして「湊の脳は豚の脳と入れ替わってるんだよ」と叫んだ湊の言葉の意味もわかった。
誰が怪物か、なんていう問いはこの時点でどうでもよくなった。依里にも湊にも深く共感してしまった。その葛藤が分かってしまった。ただ救われて欲しかった。
校長は言った。
「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。誰にでも手に入るものを幸せって言うんだよ。」
すごく心強いメッセージだった。
今悩んでる人みんなに届いてほしい言葉。
何回も見て、依里と湊の行動の意図はほとんどわかったと思う。そりゃセクシャリティのことで虐待まで受けてたら「男らしく」「男なら」みたいなことを言ってくる先生には頼れないよなぁ……とか。
最後の場面。2人が死んだとは一切思わなくて、希望に満ちていると感じた。理由は2つ。
ひとつ、湊が「生まれ変わりとかそういうのはないと思うよ。もとのままだよ。」と話したこと。「生まれ変わり」とか「死後の世界」とかのオカルトな部分の否定だと思った。
ふたつ、2人が死んでしまって自由な世界に旅立って幸せに、というのでは校長の言葉と合わないと思う。同性愛者だろうがなんだろうが、誰にでも手に入る幸せがある。そのはじまりにたどりついた2人の希望に満ちた心象風景かなと。
全体通してチクチクと言葉が刺さった中でも、最後はそれすら越えていく2人の羨ましくなってしまうような関係性。素敵な映画でした。異性愛者の人たちにはどんなふうに見えたんだろうか、気になります。