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いつかの僕へ

noteを書き始めて今月で6ヶ月、つまり半年が経過するらしい。ここ最近は月に一本投稿するようなペースを保っているが、始めた当初に比べると頻度が落ちたのは明らかだ。

最初に投稿した記事でも書いたように、人に見られる文章を書くのが苦手なのでこれでもよく続いている方だと思うが、文章を書くことの難しさを改めて感じる日々だ。

今も途中まで書いてみて言いたいことをまとめきれなくなった下書きが何本もある。そのどれにも書ききれなくなる共通する原因がある。

ひとつはやはり言葉をキレイにまとめたいという想い。周りに素敵な文章を書く人が何人かいて、憧れている。かっこつけない文を書きたいという気持ちには今でも変わりはないけれど、素敵な文を書きたいという気持ちもあるのだ。いったいどうしたらそんなに心にしみるような温かい言葉を紡げるのか。今日も良い文を書くための思考は止まず、まとまらず、書ききれずにいる。

もうひとつ、それは自分の中で処理しきれない感情を抱えることが減ったということ。9月の後半くらいから日記をつけ始めた。なんのルールも課さず、とにかく毎日書くことだけを決め事にしている。飽きっぽい自分が何故かこれだけはもう2ヶ月以上1日たりとも欠かすことなく書き続けている。

続けて書いていけるか分からなかったから何の変哲もない普通のB5ノートに書いているが、文量も日によって開きが大きい。3行で終わる日もあればまるまる1ページ以上書く日もある。

この波がありながらも気持ちを文字に起こす作業を毎日繰り返すことで心に感情を溜め込みすぎず適度に発散出来ているし、ゆっくり考えをまとめるためにはやはり書くことが僕にとっては有効のようだ。しかし、書きたいことの総量が増えるわけではない。日記に書いた分noteの投稿が手薄になっている。なんら問題があるわけでもないのだけれど。自分の気持ちを整理するという目的には変わりない。

ただ同時に課題も見えてきている。最後まで書ききれないnoteと波の大きな日記。思考の長さに対してそれを言葉に表す技量も語彙も足りていない。

僕が尊敬する人たちはみんな湧き水かと思えるほど美しく幅広く表現をしている。そうして語られる言葉から読み取れる思考の繋がりも僕の頭には到底浮かばないようなものばかりだ。

僕もそれができるようになりたい。そのために必要なのは知識の量、視野の広さ、経験の深さ、そして柔軟な感性。言葉を丁寧に磨いていきたい。

色々書いてはみたがnoteも日記も続けていくつもりだ。日記を書き始めるきっかけをくれた本『さみしい夜にはペンを持て』には今の自分の書きためた日記とどこか未来で向き合えることは「書き続けた者にだけ与えられる、最高のプレゼントなんだ」とあった。

はじめの日から2ヶ月強が経った今、まだ振り返って読むタイミングは来ていない。でもこの文を読んでから、いつか気が向いて読み返すのが楽しみになった。

今現在の至らない自分の気持ちを未来に残すということはいわゆる「黒歴史」を生み出してしまうような気もする。でも今はそういう自分の気持ちを揶揄するような気持ちとも向き合って、克服していきたいと思えている。

そういう自分の内側の棘を見つめてひとつずつ形を変えていく。

そうしていつか、ほんとうにやわらかな自意識をまとえるように。

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