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クラゲの「無意味」について

昔、大学の課題で「自然界にあるもの」をテーマに作品制作を作る機会があった。

その課題を聞いた後だったのか、その前から気になってたのかは覚えていないんだけど、土日とかにしてた夕方のネイチャー系のなにかの番組を見てたときに、
海外の広大な森の中にぽつんと大きな湖があって、その湖はすごく深い湖だったんだけど、そこにはクラゲが住んでて、そのクラゲは、朝になって日が昇りだすと湖の上層の明るいエリアに集まってきて、一日経って日が沈みだすと、下層の暗い方へと沈んでいく。
それを毎日永遠と繰り返しながら死んだり生まれたりしているらしかった。

なにか気になって続きをみてたら、その番組では、なぜそのクラゲたちはそんなルーティンをしているのか理由がわかってないってことだった。

今思えば、その湖のクラゲの生態を真面目に調査してるひとがそもそもいなかったのかも、とか、バクテリアとか栄養的な理由はありつつ番組上そう言ってただけなのかも、とか想像することは出来るんだけど
でも当時、それを聞いてなにか自然界の真実みたいなものに触れた気がした。

それは、そもそも自然界に意味なんてないんだなってことで、
僕は人間だから言語ってものを使って思考するし、当たり前だけど科学というものが産まれる前から生活環境のなかに浸透していたから
無意識のうちに「意味」というものがこの世界にはある。と認識してたけど、人間以外のこの世界にとって一般的に人間が使っているような言語とされている様なものは存在していない感じだし、言語という発明品を駆使した人間が宗教や哲学を作り出した後に誕生したのが科学という考え方なんだから、それを全く関係もない未開の土地の湖のクラゲに当てはめて考えようとすること自体がおかしいんだ。と思えた。

なのに、人間は自然界に意味を持たせたがる気がしてて、「キリンの首がなぜ長いのか。」という説明をするときに言ってしまいがちなのが、
「高いところにある葉が食べたかったから、首を伸ばしたんだ。」みたいな理由付けで
でも、たぶん実際には、昔の首が長くなかったキリンの中で、ちょっと背が高かったやつがみんなの届かない葉をサバンナのなか食べて生き残ることが出来て、そうでないやつは食べられる葉がなくて死んでしまって、背の高い、首や足の長い個体が子孫を残して背を伸ばし続けた結果、現在のキリンの姿になっている。という理由のほうがしっくりくる。

しかも、これは言語を使って原因や経緯を話しているからそれが理由だって言い方になるんだけど、別にそこになにか意味や意識はなくて
ただそうだったからそうなった、ってだけのことに過ぎないんだと思う。

この世界には意味ではなく、無意味が存在しているんだ。と思い、当時の課題では「無意味」を題材に制作に取り組んでいきました。

そんな世界に起きる様々な出来事について、僕自身も言語を使ってなにかと後付けしたがるんだけど、本来で言えばこれも間違えなんだよな。と考えつつ、戦争や災害、事件、事故などなどどうしても気になるし
気になると言葉で解釈しようとする他の術がないのでしょうがないよな。と思ったり
「普遍文法」なんて言葉を知ってそういうことなのか、といっちょ前に納得した気になったり
話題の動物言語学の学者さんの記事など読んで久しぶりにこのことを思い出したので、折角なのでここに残して置こうと思いました。

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