「ことば・表現・差別」再考(おとなの学び研究会)

最近LGBT問題についていろんな人とやり取りしたこと、また日本という国における沖縄や北海道の立ち位置を考えたりする中で、「差別」についてもっと勉強したいと思っていた。そんな時に出会ったのがこの本。

「「ことば・表現・差別」再考」(おとなの学び研究会) ←amazonさんより。


概要

この本は部落解放•人権研究所発行の「ヒューマンライツ」という雑誌の、リレーコラムをまとめたものだ。権利運動関係者、学校や行政に携わる人、雑誌の読者など、さまざまな立場の人が「ことば・差別・表現」について書いている。浮穴正博氏の「「かわいそう」から始まった」からスタートし、後に続く人たちはその前に書かれたコラムを踏まえ、更に自分の体験、意見などを盛り込んで執筆している。

タイトルにある通り、差別問題の中でも「ことば・表現」に焦点を当てている。よく報道や教育の現場で「差別用語を使わない」という場面がある。この本では「このことば、この表現で誰かが不快な思いをしないか」「必要以上のことばの規制に意味があるのか」と言ったことを、「もやもや」しながら皆で考えている。非常にデリケートで誰にでも関係する問題であり、とても興味深く読み進めた。


日本にある差別

私は自分がレズビアンであるから、LGBT差別については比較的関心が高い。地元団体Pのいろんな会に参加する中で、「差別への取り組みには先人がいる。そこから学ぶべきでは?」と思っていた。

【日本にある主な差別】
・障害者
・部落(同和)
・女性
・LGBT
・沖縄、アイヌ
・在日コリアン、外国人  など


ことば・表現による差別

報道や教育現場、行政などでの自主規制が分かりやすい例だと思うが、そこで規制されることば以外でもあらゆることばが誰かを傷つける可能性を持っている。

【この本で取り上げられていたことばの一例】
・めくら、片手落ち、手短か ←身体障害者差別だとして、自主規制されることが多い。
・部落 ←この言葉自体は「集落」と同様の意味だが、差別的な色がついているとされる。
・鮮魚、アイスクリーム ←在日コリアン(鮮魚)やアイヌ(アイスクリーム)の人がこの言葉を見て「ドキッ」とすることがあるらしい。
・かわいそう、あほ ←日常的な言葉に思えるが、文脈によっては差別的にも響く。


文脈の中で変わることばの印象

上記はこの本で紹介されていた例だが、これ以外でも全てのことばが「差別的」に使われる可能性を含んでいる。それは差別問題として考えなくても、日常の何気ない会話で「そんな言い方しなくても!」とか「言い方を考えなさい」とか、同じことばでも使い方次第で相手の受け取り方が変わることからも分かる。

どんなことばでも差別的意図を持って使えば「差別用語」であり、一見差別的に思えることばでも使う側の気持ち次第で違った印象に受け取れることもある。こういうことを考えると「差別用語集」を作って、機械的にことばを狩る意味のなさを感じる。結局ことばはコミュニケーションの道具であり、道具の価値は使い方次第というわけだ。



1人として同じ人はいない

差別とは結局「その人をその人として見ない」行為ではないだろうか?ある特徴を持つ集団に何らかのラベルをつけることで、各人の個性、本質が見えなくなっているということはないか。つけたラベルに差別的な意図を含めるのがいけないのはもちろんだが、勝手なラベリングで一括りにして人を見ることそのものが差別を生む気がする。

また本の中に「当事者に正解を求め、そこで終わりにしてはダメ」というような記述があった。これにもハッとさせられる。これは「誰かに正解を求めて、そこで思考停止してはいけない」ということを言っていたと思うが、私は違うことも考えた。

私も時々「この見解はあくまで私のもので、他のレズビアンの人は違うかも」みたいなニュアンスで書くことがある。どんな見解も基本はその人だけのもので、同じような特徴を持つ人が皆同じ見解というわけではない。1人の当事者に話を聞いても、別の当事者は違うことを言うかも知れない。結局何事も究極は「個別」なものなのだ。


常に「もやもや」してて良い

「だったら、ことばで人を傷つけないためにはどうすればいいの!」って思うかもしれない。仕事上の必要があってこの問題を考えている人にとっては「曖昧ではないルールが欲しい」となるだろう。しかし…コミュニケーションって基本曖昧なもの。特に日本ではそうだよね。

「空気を読む」とか言うけど、まさにどんなことばが、どんな言い方が相手を傷つけるのか、その場その場で空気を読んで考えるしかないと思う。もし「この表現は避けましょう」というルールを作ってもそれで終わりでなく、常に「この表現は適切か?」を考え続ける必要がある。

この本の中では、そうやって悩むことを「もやもやする」と表現しているが、良く考えた上での「もやもや」なら常にあっていいのだ。一番怖いのが「思考停止」することと書かれている。これはもうことばによる差別の問題だけでなく、全てのことについて言えることだと思う。



使命を感じる

最近私のアンテナの感度が良いのか、良い本との出会いが続いている。色んな意味で面白かった本の感想をこうやって書いているが、良い本を紹介することは、その本に出会ったものの使命ではないかとまで思うようになってきた。本は人類の共有財産!

特に今回の本のように、全ての人の人生に関わるような本は、なるべく多くの人に知ってもらいたい。読んだ上でどう考えるかはその人の自由だが、まず読んでもらわないと始まらない。もう「是非読んでみて!」と触れ回りたい気分だ。なんか…布教活動みたいだな。宗教活動にハマる人の気持ちがなんとなく分かったかも。

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。