「世代間」「地域間」ギャップを楽しめたらいいのに


世代間ギャップとか、地域差とか、生きてきた背景の違いで備わってる知識(というほどでもない知ってること)が違うというのはあるよね。親世代と私たち世代では常識とすることも違うし、だからってどっちが正しいということはない。ただ「違う」だけ。

こういう違いについて、時々「自分が知ってる以外のことをバカにするような発言」に出会うことがある。例えそれが冗談であっても「そういうの、やめない?」って思っちゃう。側で聞いてると心が荒むのよ。……それくらいで荒んじゃう私、疲れてるのかしら?

クッピーラムネ

皆さんは「クッピーラムネ」をご存知だろうか?私はその名称を意識したことはなかったが、多分幼い頃からお世話になってたと思われる味わいのラムネである。やや粉っぽさを感じる素朴な舌触りが、なんとも懐かしい気持ちにさせる。もちろん今も現役選手。

先日職場でこのラムネの話になった。私(四十路)より年上の人は「クッピーラムネ認識派」、私より年下の人は「名前聞いたことない派」という感じだった。(そんなどうでもいい話題で盛り上がってる我が職場の平和、素晴らしい)

「クッピーラムネなんて聞いたことないですよ〜」という若い世代の言い分には、「そんな古臭そうなお菓子、知らんよ」というニュアンスを感じ取るのはおばさんの僻みか?「え、あのクッピーラムネを知らないの!?」という年上世代の言い分に、「はいはい、こっちはおばさんですよ〜」という心の声を聞いてしまうのは世間斜めに見過ぎか?

他愛もない話だけど

似たような話として、「学校時代の話で地域差、世代差を感じる」というのもある。学校給食で何が出てたかとか、学校独自のルールがどうだったかとか。誰とでも話しやすいし、結構盛り上がる話題ではある。そこに妙なマウンティングが起こらなければ。

クッピーラムネの話にしろ、学校の話にしろ、他愛もないんだけどね。「私はこうだったよ(どや〜)」とか、「そんなの聞いたことない(ややバカにしたニュアンス)」とかなければいいんだよ。こういう不快な表現に出会うと「あ、この人は狭い世界で生きてきたんだな〜」と思うだけなんだがね。

違いを楽しめたらいいのに

この「自分の狭い世界マウンティング(意味わかる?)」、悲しいかな、私も気をつけないとやってしまいがち。自分と違う経験をしてきた人の話を、ただただ未知への好奇心を持って聞けたらいいのに。知らないことしか出てこない話を、楽しんで聞けたらいいのに。

人間どうあっても、馴染んだものが心地よかったりするよね。でも新しさとの出会いは刺激をもたらす。自分とより遠い経験をしてきた人と、その違いを楽しみながら話ができる人間になりたい。

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。