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「絵はすぐに上手くならない」感想と自分語り

絵はすぐに上手くならないという本を読みました(リンクはAmazon)

この本ほんとは電子書籍で読みたかったんだけど、電子書籍化してないんですね。もったいない。

あとほんとにどうでもええんやけどわたしは「上手くならない」より「うまくならない」の方が字面が好きやな。


本の内容の感想を書いていきます。

まずタイトル、「絵はすぐに上手くならない」という衝撃的なタイトルです。「やさしい〇〇」とか「〇〇が描けるようになる」という本があふれてる中で異彩を放っています。異彩を放っているが故になんとなく説得力があります。終始、なるほど、そうだよね、というふうに特に批判せず読んでしまいました。

概要としては、「絵が上手くなるって言ってもいろんな方向性や目的があるよね。自分にとって本当に必要な努力をしないといつまで経っても絵が"上手く"ならなくて嫌になっちゃうよ。どんな努力が自分にとって必要か分析していこうね。」という感じです。

この本、2010年前後(中学生)のわたしに読ませてあげたい。

あのころにイラストを描いてた人はわかってくれる方も多いと思いますが、なんかやたらと、「30秒ドローイング」とか、「ルーミスのやさしい人物画」とか、「人を描くのって楽しいね」みたいな「これさえやっとけば絵がうまくなるぜ、とにかく努力努力!」みたいなやつ(風潮?)があったじゃないですか?(今もかな?)2ちゃんまとめサイトとかも流行ってて情報が乱立してたし。

この本はそういった風潮に一石を投じてくれてるな、と感じました。30秒ドローイングとかやさしい人物画に関してはこの本でも言及されていますが、その本やサイトを使うなら、どういう目的でそれを使うのかということを明確にしないと意味ないよ、という風に読み取れました。

あのころにこの本が出版されていて、この本にわたしが出会っていたら、ネットの情報に惑わされることはなかったのにな、と思います。

それから、わたしがこの本を気に入った理由のひとつとして、効率良く絵がうまくなりたいというわがまま(?)を否定しないというところがあります。

はっきり言って、わたしは効率厨です。何かを習得するときには最も効率の良いメソッドに従って、努力は最小限に抑えたい!

わたしはかつて東大に合格しましたが、正直(日本の?)大学受験は何百万?人もの先人たちの経験の蓄積があって、合格のためのほぼ最短のルートがわかっているため、そこまで難しくはなかったんだと思います(と言っても、人生で一番勉強したし、ストレスやばかったし、一浪したけどね!)

同様に、医師国家試験とか司法試験とかもおそらく合格のための道筋がはっきりしていそうなので、数年ガチれば(楽勝とは言わないまでも)「必ず」受かると思っています。

そんな「自称試験勉強が得意」なわたしですが、大学に入ってからは、自分が成長してるという感覚がほとんどありません。いわゆる、「東大までの人」だなと自覚しています。

それは、わたしがいま大学で学んでいる生物学という学問に、王道の勉強方法や、これさえわかれば生物学が全部わかるという教科書や、これといった資格(目標)が存在しないからだと思っています。

さっきも言ったんですが、たぶん医学部とか法学部だったら絶対国家試験に合格できると思うんですが。わら。

わたしがいま大学で学んでいるのは特に植物生態学という分野です。この前、「花と昆虫のしたたかで素敵な関係」という送粉生態学(あいぽんでそうふんって変換できない)という本を半分くらい読み(全部読めよ)、「これだよ!わたしが求めているのはこういう風に学問分野の全体を体系的に学べる、俯瞰できる本なんだよ!」というふうに感動いたしました。

大学の数年間で生物学の授業は山ほど履修したわけですが、ほとんどの授業が「〇〇学」と称していながらその学問の研究の一部を紹介するだけだったんですよね。まあ、そういう授業をする先生の中には最初に「この授業は研究の紹介にとどまるので、この授業をきっかけに自分で教科者を読んだり論文を読んだりして学んでください。大学の勉強とはそういうものです。」と念押しする先生もいたので、先生たちは全くワルクナイヨ!!!

「花と昆虫の…」を読んだとき、感動して指導教員にもその気持ちを伝えたのですが、やっぱりその先生も植物生態学の分野には体系的に学べる本が少ないということを憂いていました。

まあ、わたしのように勉強の道筋が確立されていなければ勉強できないような人が脱落しても、学問が好きで自分からどんどん勉強する人が山ほどいるので先生的には困らないと思うんですが…ごめんね…。

話が脱線しましたが、この本(「絵はすぐに上手くならない」)の著者も、イラストや絵の分野では上達のための道筋が確立されていないということを憂いていて、自分が今まで美大予備校〜芸大〜絵画教室(教える方)で培った経験を活かして、絵の上達の道標となるような本を書こうと思ったみたいです。ありがたや〜。

といっても、この本は「各々に合った練習方法」を紹介しているだけで、具体的な技法等(デッサンはこう描くんだよ)といったものには詳しく触れられていないので、別途参考書を用意するなり絵画教室に通うならする必要があるから注意してね。(もちろん参考書の選び方なども紹介してくれてるよ〜)

それからこの本は自分が絵をどう使いたいか(ファインアート、3Dモデリング、空間デザイナー等)とか、現在自分に足りない要素は何か(全体を把握する力、線を綺麗に描く力、完成させる力)とか、診断要素がちょいちょいあるので、診断大好きなみんなは結構楽しめると思うよ!おまえら16タイプ診断とか好きやろ?わたしは好きです。

ちなみにファインアートみたいに実際に絵を描く(ことが最終目的の)人じゃなくても、アイデアを形にして伝えたいビジネスマン?的な人とっても有用な本らしいよ。

ひとつこの本で気に入らなかったことを挙げるとすれば、「あとでやる」「やればできる」と言う奴に厳しいところかな!だって、自分の現状を知るために手を書いてみましょうってパートで、「〇〇な人は〇〇してね」とか描いてるのに、もしその通りにして読み進めると「〇〇した人は〇〇」とか言われるんだよ!(半分ネタバレ)

(すげー関係ないけどここまで書いてサファリのアプリが落ちて焦ったよ!自動保存してくれてたよ!ありがと!)

まあそんなこんなありましたが、わたしにとっては目から鱗といいますか、この本に従えば絵が上手くなる気がする!という本でした。今通ってる絵画教室の先生にも紹介しよー。わら。

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本の感想はここまでです。最後にわたしがなんで絵が上手くなりたいかという話をします。

わたしは幼少期からなんとなくイラストや絵を描くのが好きで、それなりに上手でした。たぶん姉がいて姉の絵の真似をしていたこととか、漫画が好きだったことが影響してると思います。

小2のときに自分の住んでる地域(1つの市といくつかの町村)の小中学生の展覧会でちょっと大きな賞をとったことで、「わたしには絵の才能があるんだ」というふうに思い、それからずっと将来は絵を描く仕事をしたいと思い続けてきました。ちなみに中3のときも同じ展覧会でちょっと大きな賞をとりました。

とは言え、わたしは努力が大嫌いなので絵の練習をあまりせず、中学時代はネットで上達法を調べてはすぐ飽きてやめるということを繰り返していました。その当時同じアニメや漫画にハマっていてイラストを描き始めた同級生がめきめき上達して、数年でpixiv(イラスト投稿サイト)の「数千users入り」(絵のお気に入り登録者が数千人いる。ちょうすごい。)にまで上りつめたことがいまでもコンプレックスで、たまにエゴサしちゃいます。

中学〜高校1年生のときは美大や芸大に憧れ、口先だけの「芸大志望」で、高校では美術部に入りました。でも美術部の先生ととにかく性格が合わず(中学の時から博愛主義者だったわたしがその主義をやめるほどで)、美大受験は諦め、得意だった普通の勉強を極めて東大を目指すことにしました。(ちなみに美術部では3年生の夏まで活動してたよ。面白い部員に囲まれて人生で一番楽しい時間を過ごしたよ。)

美術の道を諦めた後(もしかしたらそれ以前から?)は、自分が絵を描いていた理由について「わたしはなんでもそつなくこなせるけど、たまたま絵で褒められたことがきっかけ。絵なんてそんなに好きじゃなかった。もっと人から認められたかった、褒められたかったから描いてただけ。」だという風に思っていたし、今でもちょっとそう思っています。でも、思い返してみると、わたしが初めてちゃんと絵を描き始めたのって、ミルモでポン!の1巻か2巻の巻末に載ってた、少女漫画の目の書き方を見て真似したときじゃなかったっけ?あの頃はきっと人から褒められたいからなんて動機じゃなくて、純粋に楽しくて描いてたんだよね。いつから「自分は褒められたくて描いてる、ダメなやつ」と思い込んでたんだろう。

最近、先述したように大学の勉強に行き詰まっており、このまま大学に居座って研究者になろうとするのはやめようと思いました。高校1年生の冬に自分で敷いた「生物学者になる」というレールの上に乗ったままでいるのはやめようと思いました。たぶんこのまま続けてもずっと苦しいだけだから。

ちょっと振り返ってみると、生物学者を目指し始めた理由は「自分の力で世界に新たなもの(生物学者なら研究成果)を生み出したかった」なんです。たぶんそれって、他の分野でも叶えられる。

もっと言うと、高校時代に絵よりも生物学をやろうと思ったのは、「どんなに素晴らしい絵を描いてもひとりよがり、世界には影響しない。それよりも、自然科学の分野でなにか研究成果を残せたら、世界の理解を変えられる。」からだったんです。

たしかにそれはそうだと思います。でもたぶん、生物学でわたしが研究することなんて、他の人がいずれやってくれる。ならば、もし世界には影響しないとしても、自分だけにしか表現できないものを生み出せたら楽しいだろうな。と今は思っています。

それから、自分は最近いろんな趣味があって、絵、写真、服、洋裁、刺繍、などなどいろんなことにはまっては飽きるということを繰り返しています。たぶん、そのどれもそこまで好きじゃないから。「そこまで好きじゃなくて熱中できない=悪いこと」というふうに思って、自分が嫌になったりしていたんですが、この前ふと、「あること(絵とか洋裁とか)が大好きでずっとそのことばかりツイートしてるようなプロでも、もしかしたら最初からそんなに好きだったわけではないのかもしれない。(わたしも続けていたらその人たちみたいに熱中できるようになるのかもしれない。)」のではないか、と思いまして、まあもしかしたらそんなことはないかもしれないけど、仮にそうだったとしたら、「そこそこ好き」だけど、「そこまで好き」じゃないからという理由でやめちゃうのはもったいないなと思いまして、だったら絵を描くのをもう一度やってもいいかなと思ったのでした。

(あ、ちなみに今やってる生物学の勉強は「そこまで好き」ではないけど「そこそこ好き」なので、来年までは頑張って続けられたらいいなと思っています。たぶんいま覚えたことは将来なにかの役に立つと思うし。)


でもまあ、もしファインアート(油絵とか)をやるとしたら、まあ食って行けないだろうから、(本当は絵で食っていくことを望んでいるのかもしれないけど、)やるとしても趣味とか副業で、だろうなと思っています。幸い"学歴"だけはあるからなんかどこかの企業に雇ってもらうなりして生活していくことになるんだろうな…。

わたしのことなので、こんな壮大なことを言っといてやっぱり絵に飽きてやめるということは80%くらいの確率であると思いますし、将来生物学の仕事をする可能性も5%くらいあると思いますが、とりあえずいま思ってることはそんな感じです。

おわり。


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