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出目金と水草

夜、ふと侘しくなり、出鱈目な詩を求めんばかりに筆をとり、朗らかな空想に耽る。

枯葉だって最後は赤やら黄色やら快活な顔して落ちていくじゃないか。落葉はされど淋しく風はぬるい。

人は皆、利己的に他者を救出せんと発奮するんだ。皆さん本当に自己愛に満ちていらっしゃいます、私も例に漏れずとも。我利我利君。

ニヒリズムというものはつまらんね。あれは愛の乞食がやるものだ。悲しいよ。そういう人は誰かに抱きしめられなければならない。冷酷な事実も冷淡な人も信じたくないね。

ある早朝、鳶に睨まれた1匹の小さな蛙が有って、その蛙は小さきにも艶の良い翠の体色を背にその一生を真っ当に生きていたという。病弱の青年は蛙を優しく両掌で囲い、対岸の水草に放してやった。
次の日、青年は左脚をもがれた蛙をみて、可哀想。だと思った。
蛙は青年を生涯恨んだ。

西陽が両目に入り込み、私の視界は霞のように黄金や緑や紫の光に溶けて、この印象画の中にいつか美しい天女が現れて、私を連れ出してくれるだろうと思ったけれども、魯鈍な私は地に足をつけて空を延々と仰ぎました。

決して明けぬ夜が再び来た。その日は絢爛たる星々が秋雨のように謙虚に降り落ちて、彼等は只私だけを見ていた。恋慕の薄れぬうちにあそこの小さな丘で約束を交わし、沢山の星屑を共に地上へ撒きたい。
星はよく見ると揺れているのよ、四方八方に飛び散りたい思いを抑留して、今日は私達だけを見ている。

僕には難しいことがわかりません。もしかすると分かりすぎているのかも知れませんが。空を眺めても、風を嗅いでも、川のせせらぎを愛でても、雉鳩の行末を悩んでも、最後は途端に悲しくなって、心も身体もが哀色に滲みます。

今日は左手を眺めても皺が見えない

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