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この街について

人生は上手く出来ている。悪いことが起きればその後に少し良いことが起きるし、そのあとは悪いこと、良いこと、堂々巡りである。
だから今日のこの不運も次に起こる幸運の為の試練なのだと考えれば少し心が救われるのだ。

ルガン=ジャネス=アンデルセン (1912〜1979)

僕の住んでいる所(といっても僕はその場所に僕の能力によって住まうことが出来ているという訳でなく、只家族に寄生して存在することが出てきている訳だけれども)はある商店街沿いにある。
日中はちらほらと地元住人達の往来で賑わい、恥ずかしながら所謂コージィと言われるような喫茶店なんかも数年前に出来て、地元住民達、殊に主婦層の人達がその喫茶店に屯い、とても殷賑とは言えぬまでも安寧に基づいた平和的な活気がそこには存在しているのである。まぁ可愛らしい見え坊のような上品な場所なのだ。

そうして僕は勿論そこの地域の住民ということになっているのだから、その商店街を抜けた先に通じる小さい駅を利用する時々には、全く地元住民らしく自然な様子でその商店街を歩いて通り抜け、用があれば商店で買い物をするし、何をするでもなく購入意欲も無いまま本屋にズケズケ入って行ったりなどして、自由気儘に過ごしている訳である。しかしここに住むということになってからもう10年近く経つ訳だから、僕は数え切れない程その"こぢんまり商店街"を往復してきたということになる。
それほどこの街で過ごしているとこの街の容貌の変化を幾度となく見ることになる。
商店を照らす街灯でさえ今から少し前にハイカラなデザインのものに変わってしまって、日が落ちると温厚な暖色の光が街を照らしてなにやら幻想的、という様にになっているけれども僕はその景色を見るといつもどこかむず痒い思いで、モダンを追い求めて背伸びをしている子供のようなこの街の見栄を感じる。そうして僕はその景色を見て含羞み、それでまた満足したりなどしているのであるが。
街灯に掛けられた町旗も幾度変わったかしら、今のは奇怪な模様を背景に不細工な街の文字が印刷せられているものだけれど、前はもっと見栄えなどへの頓着さえ感じない落ち着きのあるようなものであったような気もする。そういえば、あの中華料理屋の看板娘の薄汚れたぬいぐるみもつい最近変わってしまった、あの子は捨てられたのかしら。道路の舗装だって昔はもっと粗々としていたし、欠けた止まれの停止線も綺麗に整備せられてしまった。色々と変わってしまった。この街は、いえどこだって、僕が望む速度よりも忙しなく変化していくようである。

けれども先日、僕はとある、この街にとって非常に重要ななにか現象ともいうべきか、言い知れぬものをこの街に発見した。それはこの街に吹く風のようであるし、匂いのようでもあるし、僕の青白い肌を抱き込む西陽のようでもあるけれど、それら全てと僕の思考では到底及ばない他の構成要素によって成り立つ何かであるかも知れない。知れないけれども、どうやら知らない方が良いものであるように僕は思う。そうしてそれは今後この街にどんな外見上の歴史的変化が生じても尚変わりないものであると確信している。

嗚呼この眼前に映る光景をどうにかして克明に描写したい。誰が読んでも分かるような、誰が読んでも懐旧を感じるような、優しい文章で。と切実に願う時が常々ある。僕の文学に対する葛藤を解決する答えはその光景にすべて詰められている筈である。

今年の初冬のことである。冬の気持ちの良い西陽はまだ正午を過ぎたばかりだというのに早々と傾き始め、商店と往来の人々の背中を照らし、そうして私は空疎な往来の中をただ歩いていた。その日の私の五感はいつにも増して殊に敏感であった。手を繋いで歩く老夫婦の会話、カラカラと音を立てるベビーカーの車輪、新装せられたばかりの清楚な歯科医院のガラス戸から漏れる鼻を打つアルコールの臭い、街の息遣いが銅鑼の音のように喧しく聞こえた。然れども私の心身を刺すそれらの喧騒が心地良いものであるということには相違なかった。そうして豁然と私は、この商店街が突如誰かのキャンバスの上に切り取られて、美しい絵画になってしまったと思うほどに典雅で本物の安らぎに満ちた場所であるように感じたのである。
歩道を手を繋いで闊歩する恋人達の間に醜い情念は無く、買い物帰りと思われる家族の中に虐待や怒号の影はなく、杖をついて歩いていた老爺の関節痛もあの日のあの一時は暫時、霧消していたに違いない。またパタパタと足音を立てながら小さな手をぷらぷらさせ、私の前を駆けて行ったあの子供の後ろ姿には綿毛のような可愛らしさがあった。けだしあの子の表情は陽光に照らされた黄金の笑顔に満ち、天使のようであったに違いない。何故だかあの日は街の全てが優しかった。彩すら鮮やかで、視界に映る全てがスフマートに、柔和な丸みを帯びていた。このひと時が永遠に続かないものかとさえその時の私には思えた。商店街を抜けてからも私は純粋な優しい気持ちのままで、凡そそれは私の生粋の性格が故でなく、その日の街の雰囲気がそうさせたのに相違ないのだろうが、とうとう家路に着く頃、果たして私は恥ずかしくも泣いていたのである。そうして本心からあのキャンバスの上に乗っていた人々の幸せを私は願っていた。

付記
不細工な文章を書くようになってからもう2年以上が経つというのに悲しきかな語りが全く上達しない今日この頃である。けれどもバカボンのパパに同調する訳ではないが、それで良いのだ。と近頃そう考えるようになってきた。それは、たとえ語りが頓珍漢のおっちょこちょいであってもそれを良しとして読んでくれる恋人がいてくれるし、僕の書いた物を読みもしない上に、感情のこもってない労いの言葉をかけてきやがるが、私のこの趣味に差別のない眼差しをくれる文字通り右肩下りの良い友人も居るからである。勿論、芥川の蜜柑のような傑作をら書いてみたいけれども、ひっそりと書いてこぢんまり作品数を積み上げるのも乙ではないだろうか。美男子と煙草の最後に、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気長に惚れなさい。という太宰のえらく仙人臭い人情の機微に通じたような、そうでないような良い一文があるのだが、内気でちょっとおしゃれな作品を私は書きたいね。ちなみにルガン=ジャネス=アンデルセンなんて人間おらんでwww

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