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日本的デザインの正体について思うこと

長野県デザイン振興協会で浜松のYAMAHA Innovation RoadとSUZUKI歴史館、静岡文化芸術大学などへ伺う視察旅行へ参加。交流会でYAMAHAデザイン研究所の川田所長・元SUZUKIデザインで現在は静岡文化芸術大学芸術研究センター長の服部先生からも裏話を聞きつつ見学してきました。

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楽器製造ルーツのYAMAHAと織機製造ルーツのSUZUKIとで、自社製品の歴史を紹介するショールームの違いから、デザインに対する考え方を比較できたと思うのでメモしておきます。

YAMAHAの楽器製造はピアノを始めとする西洋楽器が主体。オルガン修理がルーツであるためか鍵盤楽器が看板に見えるが、弦楽器・打楽器・管楽器・電子楽器とほぼすべての楽器を網羅している世界唯一のメーカー。オルガン修理が明治20年の話であるから、擬洋風の波が建築界に押し寄せる中で東京が江戸ではなくなっていく過程とともに、西洋音楽があふれる時代に育ってきた社風が今も息づいているように感じます。そのためかInnovation Roadの展示はそれぞれの楽器が持つ主題(旋律)を切り口に分けられており、全体で楽曲を構成する印象が感じられます。全体的には交響曲な印象。

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一方SUZUKIは自動織機がルーツの二輪・四輪メーカー。SUZUKI歴史館の最初の展示は自動織機からはじまっています。その後大正〜昭和へ続く時代の流れに沿って展示されているのですが、小芝居が続く演劇セットの中を歩いているような演出で、自分が役者になるような印象。

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同じ浜松に存在する企業でありながら、広報に対する哲学がここまで違っているのが大変興味深く、もちろんInnovation Roadは楽器で、SUZUKI歴史館は二輪・四輪の違いはありますが、YAMAHAコミュニケーションプラザ(発動機)にも足を運んでおり、そこの展示もInnovation Roadと同様の匂いを感じます。(下図ヤマハコミュニケーションプラザ)

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両者を見比べて気がついたことは「日本的デザインの正体」が少し垣間見えた気がしたこと。YAMAHAは和楽器の開発を積極的にしておらず(大正琴があるだけど聞きました)、擬洋風西洋魔術の思想が未だ支配している気がします。対してSUZUKIは芝居小屋大道具の一つ、つまり時代のスタンダードに対する嗅覚が異常に強く、自らもスタンダードを作り溶け込んでいるように見えてどこかで主張することにかけて全力を掲げる、江戸黄本の妖怪的思想が垣間見えました。(両者とも褒め言葉)

いわば明治の呪い、江戸期の否定または大正時代において江戸期の再定義(ただし、からくり的思想=自動化・再現・複製可能化)が底辺にあり、日本的デザインというのは、どうもこの頃のコンプレックスが古層なのではないかと気がつきます。だからといってそれが駄目というわけではないのですが、古層は更に深いところにあると考えていますので、そろそろ明治の呪いを除縛して、奈良時代くらいまで下がっても良さそうな気がしていますが、そのあたりの考察はまたの機会に。


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