お椀

職人とメーカーと作家と伝統

いつもは論文やレポート、考察文を読んで記事を書いているのですが、今回は「とある実家が家内工業(伝統工芸)」という人のお話。2010年頃からの付き合いで、遠方なのだけど話があったので今までほそぼそと付き合ってきました。しかし当人は独立したがっているのだけど、気がついていない問題をはらんでいるので、心当たりがある人は一読していただき、客観的に見つめてもらえると役に立つかもしれないので記しておきます。
※写真はイメージです。本人とは関係ありません。

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さほど付き合いは濃くありませんが、木工系の小物(塗り物)製造・卸を生業としてきた実家に生まれながら、かつて某印刷・出版係企業の同僚で、お互いそれぞれの都合で住む土地がバラバラになり、最後に知ったのは家具塗装関係企業に転職し、日曜木工作家でもある知人との会話から始まります。かいつまんで説明すると、実家の受注量が減ってきているので新規開拓をすべきと意見具申をしたものの、聞き入れてもらえないことに加えて実家を次ぐことは拒否されていること(今の代で家業を閉める予定)に対する相談。

さて当の本人は伝統を継がねばならないと鼻息が荒いわけですが、伝統の何を継ぐのかを聞いても、技術と道具と環境が大事で、先輩の背中を見て覚えろなんてのは古いというタイプ。手っ取り早く技術を教えろと息巻いています。そこで技術や道具は下手をするとITやIoT化に加えて、3Dプリンターや立体プリントなどで置き換えられるかもしれないが、そこはどう考えているのかを聞いたところ、当時は「手作りの味が機械に出せるわけない」と一蹴されました。価格の価値観について、”手作りの味”という定量化できない部分をやけに推してきます。彼は色漆の下に絵を書いて、仕上げ塗りをしたあとにその部分が盛り上がるという表現を得意としており、椀や花瓶に菖蒲や梅・桜などの植物や渡し船などの風景を描いた作品を作っています。(果たして売れているのだろうか?)確かにプリンタでは難しく、機械化できる目処は立っていないので人が作るしか現在は方法がありません。彼はこの技法を持っていれば安泰だと常に言っている気がします。市場ニーズがないために、開発が行われていないということをお話してもよくわかっていない感じです。彼と同僚でなくなってからは、某メーカーの用途開発マーケター経験が長いことは知っているはずですし、かつては同じ畑で働いた仲のはず…。

そんな彼の性格をほんの少し垣間見ていただいたところで、時系列を整理しながら、彼に提案したこととその顛末を記しておきたいと思います。

某音響機器メーカーへ試作提案の話。

これはたしか2013年頃のエピソードだったかと記憶します。務めている家具塗装会社で何があったのかわかりませんが、ものすごく久々に連絡をしてきたかと思いきや、会社をやめて起業すると言ってきました。なにやら実家を継ぎたいが、現社長である父親から断られ、継げないなら自分で立ち上げると息巻いていました。聞けば仕事終わりに自分の作業場で作っている木工作品(漆塗り)がそこそこの評価を得ているので、自分でやっていきたいからかつての同僚のよしみで手伝ってほしいとのこと。ただ遠方でもあるため、実際に彼の作品を見たこともなかったし、作業場の設備でどこまでできるか判断が付きませんでした。そこで小さなものを何点か送ってもらい、小ロットであるなら送った作品程度のクオリティは保証できることを確認します。またそのクオリティを維持できる作業場と機材を持っていることが確認できましたので、年間100ロット程度で出荷単価は数万円レベルという条件で製作はできるのかを聞いてみたところ、そのくらいなら現状(勤めながらでも帰社した後に作業をする)でも可能だという返事をもらいます。

同僚時代はよく一緒に仕事をしていましたので、彼のことはその頃の記憶でしかありません。そうはいっても起業をする前に本人が実力を計れるチャンスが必要ではないかと思い、少し動いてみました。実はかねてから付き合いのあった東京にある某音響機器メーカーのスピーカー筐体について、オプション設定扱いでなにか提案してほしい案件がちょうど重なったため、漆モデルを提案する流れになりました。当然スピーカーですので基本となるユニットの大きさがあり、設計上必要な奥行き空間が存在する条件下ではあるものの、形状・塗色・主材については比較的自由に提案できる幅をもらいました。もちろん正式品番を与えられる製品になるにはもっと複雑な手続きが必要です。しかし提案レベルで良好な結果を得られたら、ユニットを下ろす形で彼がメーカーとして製作し、販路は音響機器メーカーのものを使ってもよいという好条件も得られました。しかもユニット部分と筐体部分の保証を分ける条件もついてきましたので、いたれりつくせりです。

さて諸条件を彼に伝え、簡単なアイデアスケッチを渡し、必要な最低寸法を添えて、ユニットの見本も渡します。当初の設計では粗い計算でしたが原価率は4〜5割強程度で、工程の工夫や材料調達方法を変えればもっと圧縮できるはずでした。また渡したものはアイデアスケッチであって、木取りや加工工程によっては変更も全然ありで、むしろ逆に提案してほしいことも付け加えます。つまり最低限のサイズを守れば自由にして良いと言っているのと同義です。

そして2週間ほど経ったある日突然連絡をもらいます。
「これはできない」と。

詳しく聞くと、普段使っている木材では指定寸法の木取りができないと言うではないですか。加工機材的には何ら問題のないサイズなのと、アイデアスケッチも木工旋盤を使えば加工可能な形状であったので、無茶なことは要求していないはず。むしろそれでも無茶だと思われる部分は修正しても良い条件で、普段使っている木材だとできないというのは…。そこで木材を変えることを提案したのだけど、同じ木材でも含水率を強制的に調整したものと、天然で調整したものでは完成したときの暴れ方が違うから、漆を乗せたときにひび割れたりするため、この大きさで、この形状では無理だと突っぱねられます。そこで念の為形状変更をしたらどうかとの問に関しても、使ったことのない木材だとうまく作れないと言われ、そもそもこの大きさのもので、この価格ならNC加工したほうが安いので、手作業する意味がないとまで言われてしまいます。挙句の果てにはそんなこともわからない客と仕事はできない。客側が漆についてもっと知っているべきで、勉強不足だとも言われてしまいます。いつからこんな性格になったのか、かつてはそんなことはなかったのですが…。
当然できないと突っぱねられれば話自体なくなります。

さてこれだけの高条件が揃っているなら他の工房が黙っているわけがなく、この話は別の知り合いの木工作家さんに持っていきました。どうやらその後うまくいったみたいで、当初の提案は通らなかったものの、別の注文を受けることができたそうでとても感謝されたというオチ。当の本人には、遠まわしに会社を辞めないほうが良いことを伝えつつ、一度起業セミナーなどに出席することを薦めてみました。その後またしばらく音沙汰がなくなります。

2017年頃、事業構想セミナーのお話

次に連絡が来たのは3年以上過ぎた2017年頃。やはりあのあと話自体がなくなったことに反省したらしく、また本来は自分がやるはずだった話が別の工房ではうまく行ったということをどこからか聞いたらしく、いろいろな木材で加工できるように機材を入れ替えたり、違う材料で作ってみたりと試したそうです。そんなおり、事業構想大学院大学ができるらしいという話題から、『第三創業の時代』というセミナーに出席しないかと誘われました。ただ住まいの関係で東京と大阪とで会場はバラバラとなり、彼は東京のセミナー会場で受講しました。

セミナー後、感想を聞くべく彼からコンタクトしてきました。
第一声が「あたり前のことを延々と聞かされた」でした。
大阪で受講した感想とやはりズレがあると思いつつ、内容的には現状を細かく分析していて、うまく使えば応用が効く考え方があったり、零細企業では難しい考え方もあるなど、頭の整理にちょうど良かったです。しかし言っていることは簡単でも実行が難しいことが多く、そこをどのように経営者として進めていくのかという部分が大切であり、あたり前のことこそできない実態を知らない人が、簡単に口に出してはいけないことを平然と言ってのけたことはとても印象に残っています。この頃から彼は独立どころか、実家を継ぐということは絶対無理だと考えていました。

とはいえそれがなかなか伝わらなかったので、一つ課題と実感を伴うコンペに参加してみようと持ちかけました。コンペなので企画提案紙ベースでOKであり、現物試作品を添付することで評価が上がるという性質のもの。まずはアイデアを出そうということにして、1人1点考えることにしました。コンペの内容は『次世代観光ビジネスの体験商品およびお土産商品開発』について。商品そのものに加えてパッケージまで含めた提案です。第三創業時代のセミナーで聞いた、新事業立ち上げに関する部分と合致していたので丁度よい課題です。

さてアイデアはすばやく出し、実現可否をシミュレートしてすばやく回すPDCA、アジャイル開発と言っても良い方法で進めていくことにしました。採用不採用関係なしにどんどんアイデアを出す段階なのですが…待てど暮らせどアイデアシートが提出されません。あたり前のことを延々と聞かされたと言っていた本人が、あたり前のことができない瞬間です。実はこれを狙っていたわけですが、何故か逆ギレされました。

「こんなことをしたいわけじゃない。これでは実家が今やっているやり方と何も変わらない。もっとやり方を変えなきゃだめだ」と。

職人になりたいのか、作家になりたいのか、経営者になりたいのか。

いろいろ話を聞くうちに、次第に彼の頭の中がわかってきました。またどうして過去のような高飛車な態度が出るのかも次第に判明します。

どうやら今修めている技法に関して、次世代の担い手が彼の地域では居ないらしく、初めて習いに行った工房でかなりちやほやされたらしいのです。そこのやり方は作品展を東京のギャラリーで開いて人をたくさん呼び、そこで師匠が彼を紹介することで来客者から褒められ、そしてご祝儀という意味も込めて買ってもらえたという経験が、こうしたやり方をすれば価格が高いものを買ってもらえるというイメージとしてこびりついているようです。よくある駄目な成功経験なのですが…。さらに高く買ってもらうために、日本伝統漆芸展で賞を取りたいとも言っていましたし、大御所にお墨付きをもらいたいとも言っていました。後継者が少ないので、大御所と言われる人にもすぐに会えることを、なにか勘違いしているようにも思えます。

しかしこうも言っています。師匠のやり方ではこの先食っていけない。

なにか言っていることの整合性が取れなかったので、いろいろ聞いてみるうちに次第に見えてきた彼の頭の中には、グッドデザイン賞が蔓延っているようでした。おそらく南部鉄器の受賞を見たのか読んだのかわかりませんが、その授賞式だけが都合よくインプットされており、受賞後は頭を下げて企業がやってくるものだと、脳内で想像しているようだということがわかってきました。(実際はそんな事ありません)
彼のいう『そのやり方』は古典的な仲間内での授賞と作品展ビジネス。それをグッドデザイン賞とすげ替えていただけのようです。まさかグッドデザイン賞も構造は同じだと思っていないようなのですが…。
結局上辺ではギャラリーなどに頭を下げているポーズをとっていますが、実態はちやほやされて、高値で売れればそれが満足だという欲求がかなり勝っているようでした。

そしてアイデア出しができないことからも、自分は生みの苦労をせず、人が考えたアイデアを形にするだけの部分に携わりながら、仲間内の工芸展にも出品して賞を狙い、あわよくばグッドデザイン賞にも選ばれたいと思っているようでした。これでは職人になりたいのか作家になりたいのか、実家を継ぎたいと言っているのは経営者になりたいのかまるでわからない状態です。少なくとも経営はできないでしょう。作家にも程遠いと思ってます。まして提案したことを実現する努力ができない部分では職人ですらないように思っています。

根っこの部分が苦労嫌いで、考えることができない彼にとって、実家の判断は正しいように感じました。後継者不足というのは家内工業の場合、第三者に継がせられない、家族的な繋がりが取引先にあって、身内の誰かが経営的な能力や哲学的な思考ができないと難しいのだなと実感します。同時に良くない成功経験は足を引っ張る典型で、ほぼ同年である彼の思考はもうほぐれるのには相当なショックが必要なのと、そもそも独立は向いていない性格であるから、このまま勤め人を続けてくれればと願っています。

そんなことがあって、ふたたびここ3年間ほど連絡がありません。もっとも彼の知る住所から更に転居をしてしまったし、更に遠方にもなったので連絡が取れないのだと思います。

後継者問題にはこうした微妙な関係も絡んでいるようで、一筋縄ではなかなか難しいのだなと思いつつ、ネットでも彼の作品群を見なくなったので、今頃どうしているのかと懐かしくも思いつつ、ここに記しておきます。


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