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「スローライフ」の答え合わせ【立花】

4月から、東京に出稼ぎに行く。

2017年から過ごした、北海道下川町にも拠点を残して。

新しい環境は、目まぐるしい。

すでにその環境へ飛び込む助走は始まっているのだけれど、すぐテンパってしまうわたしは、目隠しをして中の見えない箱の中へソーっと手を挿し入れては「わ!」と驚いているような、思い切りと臆病を、行ったり来たりしている。

下川町で暮らしていたときには感じなかった緊張感が、ある。

それは何か一つが原因なのではなくて「新しい仕事」「新しい人間関係」「新しい住居」「新しい自分の目標」などが、一気に押し寄せてくるから。

すべて自分で、前向きに選び取ったものとはいえ、まだその波を読みきれない日々。

正直、下川町は、わたしにとって、予想外に居心地のいい場所になった。

地域おこし協力隊の任期が終われば、下川町から完全に出ていくことだって、できた。

けれど、そうしないと、決めた。

理由は、まだまだ、やりたいことがあるからだ。

と、同時に、東京での新しい環境が本格的にスタートする日々が近くにつれ、「本当のスローライフ」について、考えるようになった。

「スローライフ」とは、自給自足だったり、パーマカルチャーだったり、自分の暮らしに必要なものを自分で選んだり手作りしたりする暮らし──そういうことを最優先にする生き方を指すものだと、個人的には解釈していた。

でも、実際自然を相手にすると、時間の流れは全然「スロー」ではない。

春が来たらすぐ夏で、収穫をしている間に冬支度をし、寒さに耐え、芽吹きを待つ。

自然は、待ってはくれない。

では何が「スロー」なのかを、考えた。

思うに、「スロー」なのは、コミュニケーションの起伏だ。

人と対峙したときに波打つ、感情線だ。

誰かと話をしたとき、落ち込んだり喜んだり悔しがったりする心の波が、なだらかな暮らしが、「スローライフ」なのかもしれない。

だから「田舎での暮らし=スローライフ」の、そのイコールの意味が、いまいちピンと来ていなかったけれど、「なるほど確かにそうかもしれない」と、今は思う。

人が少なければ、おのずと人に影響される部分は減っていく。

都会は人が多いから、おのずとすれ違ってぶつかる確率は高いし、仕事で関わる人も多いし、お店などに居合わせる人の数も多い。

「人知を超えた自然に、影響される暮らし」は、人の手ではどうにもならないから諦めがつくとしたら、「人の手でどうにかなる、人に影響される暮らし」は、諦めがつかない。

それゆえ、好きや嫌い、疑い、信頼、期待などなど、心の波動は変わりやすい。

その動きを、自らなだらかになるよう調整できるなら、都会でも「スローライフ」は送れるだろう。

わたしは元来、その調整が下手くそなので、都会での「スローライフ」は、向いてない。

完全に「ハイスピードライフ」に切り替わる。

一方、下川町では、毎日「スローライフ」だったのかもしれない。

だからこそ、居心地がいいと感じたし、まだやりたいことがあると、思えるのかもしれない。

一周回って、答え合わせをしたような、気分。

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