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早稲田卒ニート170日目〜無常と努力〜

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし。

(『方丈記』)

この世は無常であって、私ども人間の存在がその無常に依拠しているならば、絶えず微妙に移ろいゆくその環境の中で、その移ろいを無視して生きることは免れない。何も人間に限るまい。虫も草木も、生命あるものは皆、絶えずしてしかももとの水にあらざる如き流れの中でのみ、その生命がある。

生命とは努力するものであり、努力は生命の本質である。

(前田英樹「独学の精神」)

努力とは、特定の状況によって強いられるものではない。無常たるこの世に依拠する私どもは常に、無常ゆえに刻々と変容し続けるその背景から絶えず努力することを要求され、また、その変容を無視しては生きられない以上、絶えずその要求に応えているのである。常に均質であれば何の変化もいらない。が、常に移ろいゆく背景を生きるしかなく、それゆえ常に新たな問題がそこから提示され、それへの回答を創造することが要求される。この、問題に対する回答の創造ということが、努力するということの意味である。嫌々我慢して仕方なくやるものが努力の本質ではない。

教室もそうだ。常に揺れ動く内面の機微を抱えた人間がそこに集合する以上、いつも同じ、画一的な空間にはなり得ない。そこにある表情や空気はいつも異なる。その変化に対応するには、こちらの工夫が要る。その工夫が努力である。いつも違う。これは努力が要る以上は疲れるが、同じでないということが面白くもある。

プラトンが、「書物は読んでもつまらない。いつ読んでも同じことが書いてある。しかし人間との対話は面白い」の様なことを言ったのも、この「無常」、そしてそこから必然的に生まれる「努力」から来る様な気がしている。

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