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早稲田卒ニート175日目〜失敗した奴ほど〜

対談第2段。

最後の授業で、「受験は、運だ!」と叫ぶ西きょうじ。私も現役生の教室で、「受験はギャンブルだ!」と言い放っていた。決してふざけてなどいない。1番人気だから1着に来るなどという必然はどこにもあらず、15番人気だから3着以内に来ることはないという必然もまたあり得ない。同じく、A判定だから受かりE判定だから落ちるということが、受験をする前から決定されているわけではない。偶然性の介在する余地はどこかに残されているのである。

或いは、常識や通念に締め付けられ息苦しくなっている連中の胸に、少しの風を通してやろうということである。点数を取るためだけに勉強する苦行に辟易しているならば、少しくらいいい加減になって、もっと受験の枠を越えた広い視野で純粋に学んでみたほうがいい。そうすると段々と面白くなってきて、勉強に対する従属から自分が解放されてくれるかも知れない。そのとき初めて、主体的な学びへの道は開かれるのである。


人生後悔チャンネル。これも何ヶ月か前から見ているが、「若者が人生後悔しないように」というところを除いて、動画そのものはなかなかいいコンセプトだと思う。年寄りが多いのもこれもまたよい。

人の後悔や失敗の体験談を聞くことに興味があるのはなぜか。もし私たちの未来に後悔と失敗が予め鎮座していて、それを不可避的に経験しなければならないとするならば、自分にいずれ待ち受けている後悔や失敗を先取りして経験した年寄りとは、つまり、私たちが未だ知らない未来を既に知っている人のことである。そして、私たちは未来を知りたいという欲求を持っている。そこで、その未来を先取りした人の話を聞きたがるのである。


誰も失敗など、進んで経験したくはないだろう。大学にも現役で受かっておきたいし、大好きな人にフラれたくもない。が、避けたいと思う失敗を経験しなくてはならないときがある。これは誰にでもあることではないかも知れない。が、中には、大学に1度落ちたり、2度目も落ちたり、たとえ受かったとしてもその大学を中退したり、はたまた親友と絶縁したり、大切な恋人を失ってしまったり。そんな失敗をする人がいる。またはより巨大な、取り返しのつかぬ失敗と後悔を経験する人もある。しかし、本来は忌避したくなるその失敗の経験こそが、人格形成に強烈な刺激を与えるのである。そう多くはないが、そういう人に出会うたびに思う。失敗した人というのは、かくも魅力的であるか。少なくともその辺の「普通の人」とはまるで違う。悔やみきれぬ失敗の経験は、精神どころか肉体にまで深く刻み込まれる様な感がある。その刻まれた深みが、人間的な厚みを作る基盤になるとでも言うべきか。とにかく、どこか言うに言われぬ違いがあるのである。

合格体験記ではなく不合格体験記を書かせて、それを配布する塾もある。面白いことだと思う。成功者の話は、それを真似すれば自分も成功するヴィジョンが見えるから良いという人もいるだろう。が、私はどこか退屈して仕方ない。しかし、失敗者の後悔談は、何よりも勉強になる。そして、深みがある。経験すべき失敗を乗り越えずに成功してきた奴は、どこか薄っぺらだ。成功を勝ち誇る傲慢より、失敗を悔やむ卑屈にこそ、人間の魅力が凝縮され映し出される。自信家には、背後に卑屈さを感じない自信家と、背後に卑屈の影が顔を出す自信家とがいる。前者の発言は底が浅く、後者の自信家の方が言うことに深みがあるのは、決してただの偶然ではあるまい。

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